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「美に触れるSalon de Thè サロン・ド・京都茶寮」第1回「茶の湯釜の世界」|都ログ。VOL.2

投稿:2014年2月21日

1月10日、ギャラリーカフェ京都茶寮が企画する「美に触れるSalon de Thè  サロン・ド・京都茶寮」の記念すべき第1回目に行ってきた。この日のテーマは釜師の十六代 大西清右衛門さんを招いての「茶の湯釜の世界」。数日前、「御釡師400年の仕事 大西清右衛門 茶の湯釡の世界」で初めて釜の魅力に触れてからもう一度行きたいと思っていたが、ご当代のお話を伺ってその思いは決意に変わった。

開始時間となり、袴に身を包んだ大西清右衛門さんが登場。ウーム総合企画事務所代表の石橋郁子社長が聞き手となり、和やかな空気の中トークがはじまった。説明によるとトークは30分とのことだった。しかし、なんといっても400年の歴史がある釜。そう簡単に話し終わるわけがない。「茶の湯にとって釜とは」「歴代の作品の特徴は」「釜の正しい手入れの仕方、扱いは」―これまでにも何度も、いろんな場で話してこられたことばかりだろうけど、大西さんは話しはじめたそれぞれのテーマにずぶずぶと入り込んでいくように見えた。そして、もといた場所に冷静に戻ってこられる。すごい。

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確か、お父様の作られた釜を机に置いてお話されていたという記憶。

さて、ご当代にお話を伺って、さっそく認識を改めることになったことがひとつ。
先日のレビューにも書いた「何はなくとも釜」、だ。
 

道具としての釜

石橋社長が冒頭「茶会をすることを“釜をかける”ということからも、やはり茶の湯にとって釜は大切なものですか」と尋ねられた。すると大西さんは、釜はあくまで茶室やその他の道具などがある全体の中のひとつであり、茶会を催す主人のもてなしを表すためのものであると答えられた。なるほど、あくまで道具なのだ。

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ご当代による霰乙御前釜。2007年の作品。少し小ぶり。

さらに説明はつづく。陰陽五行の五行(木火土金水 もっかどこんすい)すべてを取り込んだ釜で沸かしたお湯でいいお茶を飲むためのもの、そして、茶会の最中に「松風(しょうふう)」とも「松籟(しょうらい)」とも呼ばれる釜の湯が沸く音を出すためのもの、と。

松はわび、さびの境地を表す代表的な樹木。いったい誰なのだろう、釜の奏でる風の音を松の林を通りぬける風の音を聞いたのは。聞こうとしたのは。所作と時間の経過が織りなすに空間に、吹く風の音が立ち上がり、その閉ざされた世界の静けさを一層際立たせる(…のだろう)。

この音は、釜底内部に漆で貼りつけた鉄片に、湯が沸く振動が作用して出る。貼りつける鉄片の大きさや数で、松風になり、蚯音(きゅういん)、ミミズ鳴きやスズメ鳴きともなるのだそう。ちなみにミミズの鳴く声とは、調べていくと、オケラの鳴く声という意味だそう。どんな音かやってくださったのだが失念してしまった。スズメ鳴きは「ピーピー
だったかな。それぞれの釜に個性がある。実用性という制約ばかりでなく、風流さえも生み出す創意工夫と創造力に脱帽。

ただ、全体の中のひとつとは言え、製造技術においてはその他の道具とは比にならないと言えるだろう。釜の製作には様々の技術が使われていることを伺った。蓋にはアクセサリーを作るような彫金の技術。環付は彫刻の技術。鋳物の技術、そして漆塗りの技術。すべてを惜しげなく結集し、さらに高い技術であえて不完全に見せる。壊す。350年前から、作品に経年変化を表現するという発想があった。それは、何も千宋易が完成させたことではなく、彼以前の釜師もやっていたとのこと。それを聞いてやはり嬉しくなった。利休の群を抜いた才能が偶然茶の湯を完成させたのではなく、そのための礎が、それ以前の多くのクリエイティブな先人によって、禅道の教えによって築かれていたのだ。脈々。
 

「写し」について


復元について、実際にお話を伺っている段階では、大西さんがどのような作品を復元してこられたか、私はわかっていなかった。

もっとも釜は復元ではなく「写し」という。代々大西清右衛門はその父から技術を教わるわけだが、大西さん曰く、それはまさに伝言ゲームのようなもので、四代よりも前のことはもはや分からない。受け継ぐ者は、自分が教わったことの中から、よいと思う技術だけを次代に伝える。そこでもまたフィルターがかかる。

だから、それ以前の作品の写しを作るには、想像を働かせ、手を動かしてみるほかないのだそうだ。昔の道具でやってみるとすっとできたり、またもちろんできなかったりする。しかし、その失敗からは必ず糸口が見つかるという。けれど、鋳型も一度使ったら崩れてしまい手がかりが残らないと聞いた。そんなに厳しい条件なのだから、四代以上前の作品の復元なんてほとんど無理じゃないか?と思って聞いていた。

4日後、再び展覧会場へと運んだ。前回見る時間がなかったのだが、展示の後半はご当代による作品がたくさんあった。オリジナルの作品の他、いくつかの写しが本歌と並べて展示されている。本歌とは、写しの元になる作品のことで、和歌を詠む際に古歌の一部を取り入れる表現技法から借りているらしい。あゝ、風流。そして、最初に目にした「夜学釜」を見て仰天してしまった。ご当代が作った写しと、本歌である二代浄清の釜が並べてあったのだが、…なに、これは?…クリソツやん!四代より前は何をしていたが分からないって言っていたよね?細かな文様から、その微妙な曲線、色合い、寸法まで…しかも技術力で群を抜いている浄清の作品をそのままに、いや、なんならもっと美しく再現しているのではないか!

飽くなき追求をつづけてきた先人の技術の結晶を、それをこんなに見事に写しとるなんて…!!!大西さん…!!!

茫然と立ち尽くしていると、後ろで夜学釜を鑑賞している人たちの会話が聞こえた。「これ、20年かけて再現したらしいよ」「…!!!(絶句)」。に、に、にじゅうねん…。子が生まれて成人するよ…。

職人の技はパトロンの無理難題とも言える高い要求があってこそ磨き抜かれる。「僕らはデザイナーではない。けれど、わがままを言わせてもらうこともあります」と大西さん。わがままと聞いて、施主のとんでもない要求を実現可能なデザインに落とし込むような作業かな?なんて思ったけど、違った。それはたとえば、「鶴の釜を作ってほしい」という要求に、「わかりました。では、鶴が首をもたげているようなデザインにしてもいいですか?」というような、さらにその技術と美術品としての可能性を追い求める、クリエイティブなわがままだった。スイマセン。さすがだわ。そう言えば、釜の製作を依頼されて、何年もかかり、できた頃に施主さんが亡くなっていることもあります、ともおっしゃっていた。なんども言うが、すごい世界だ…。

最後に、私の心をとらえた釜メモ。

芦屋夕顔地文真形釜
霰百会釜 名越浄味: 利休百会と言われた茶事の際に使われたという形の物。
肩衝(かたつき)平釜: 西村道仁
蓬莱山釜: 西村道仁
野々宮釜: 西村道仁
織部筋釜: 二代 浄清
霰乙御前釜: 初代 浄林
鉄道安風炉:(六代 浄元) 刷毛目釜添
望月釜: 十一代 浄寿 ころんと丸くかわいい。座に星形。
宝珠釜: 十二代 浄典 鐶付は海老、蓋は焼貫。
累座富士釜(るいざふじがま): 十五代 浄心 もちろん大好きな富士山の形。
海松貝地文四方覆垂釜: 五代 浄入 四角い。バランスがいい。
東山魁夷下絵 末地文真形釜 銘「巌松」: 十五代 浄心
団扇二松梅地文四方釜: 二代 浄清 好み。落ち着くバランス。

また後年同じ釜を鑑賞することがあったら、自分も年月の経過とともに、もっと深くその渋みを、その甘みを、味わうのだろうか。それとも、今から想像もできない心持でそれらを愛でるのだろうか。いや、その完全たる不完全にただただ静けさを見るのだろうか。

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トークの後でいただいたお薄と生菓子。奥の黒いものは、釜をイメージしてあつらえられている。

※お断り: このレビューはGYPSY KYOTO!が大西さんのお話から構成したものです。頼りないメモを基に書いておりますので、もし間違いにお気づきの方は、ぜひTwitterよりお知らせくださいませ。



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