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「用の美」 (河井寛次郎記念館)

投稿:2013年6月21日

京都東山五条にある河井寛次郎記念館は、河井氏の故郷、島根の民家の形をもとに、宮大工のご実家の協力のもと建てられた“登り窯“様である。
主亡き後は、奥様がたいせつに守ってこられた。彼が愛し育んだ、出雲・出西窯の登り窯のように。
出西窯はかつて、バーナード・リーチや河井寛次郎、浜田庄司、柳宗悦などから指導を受た、しかしちいさな窯なのである。

赤瓦の屋根、斐伊川の砂鉄、宍道湖の夕日。飾りがない。

河井寛次郎は言わずと知れた、江戸時代の民藝運動の第一人者である。
「民藝運動」とは、無名職人による日用の美を世に広め、新しい日用品を制作し普及しようとした。
やさしいやさしいおかあさんのおばんざいのような運動?活動?
大げさではない当然至極のきづきへの道しるべをたてただけなのかも。

「民藝運動」は、柳宗悦とともに、下手物(ゲテモノ)ということばを民藝、と置き換えることからそれははじまったという。
ごく当たり前の安物の品を指していう言葉として、朝市に立つ商人たちが使っていた、そのひとことに気づいたやさしいひとだ。

その後一大ムーブメントとなるにはバーナード・リーチや、浜田庄司、柳宗悦をはじめ高島屋旧宣伝部の川勝堅一との出会い、
(高島屋:元々は江戸時代の京都の呉服屋で、染織の下絵を描く絵師を抱えていた)
お茶処・お菓子処の城下町、出雲地方出身であった河井寛次郎のDNAなども影響している。
やはり、運命的に彼でなければならなかった。

むせかえすような季節を迎える京都。涼やかに裏通りをいけば、
にぎわう祭りを越えたやさしい空間が出迎えてくれることでしょう。

河井寛次郎記念館



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