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※この記事は掲載時(2013年2月)の情報に基づきます。

特集記事

京都MUSEUM紀行。第十二回【京菓子資料館】

京都ミュージアム紀行 Vol.12 京菓子資料館

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 京菓子ゆかりの場所に立つ、和菓子を伝えるミュージアム

相国寺の烏丸通を挟んだ向かい側、京都御所にも程近い場所に京菓子資料館はあります。このエリアは京都御所や寺院の御用達、付近に暮らしていた公家たちを相手にした菓子店が昔から多く、京菓子においても大変縁のある場所です。

京菓子資料館は、江戸時代から約250年の歴史をもつ京都を代表する京菓子店のひとつ・俵屋吉富が、「京菓子の文化をより多くの人に正しく伝えていきたい」というコンセプトから、烏丸店のオープンに合わせて昭和53年に創設しました。当初は店の3階フロア(現在の俵屋文庫)を利用した小さなスペースでしたが、平成13年に烏丸店の隣に新しく建設した「龍宝館」に増床移転しました。現在では国内外から年間約3万人の来館者が訪れています。

                               

「龍宝館」の場所にはかつて料亭があり、奥まった入口や玄関へのアプローチを彩る庭にその名残を留めています。庭には、金閣寺から贈られた紅白梅や竹などが植えられ、季節によって異なる表情を見せてくれます。四季を感じさせる演出は、京菓子にとっても大切な要素です。なお、この空間は2003年に京都景観・まちづくり賞「優秀賞」を受けています。

「龍宝館」の名は、俵屋吉富が御用を担っている相国寺のシンボル「龍」や、銘菓である「雲龍」にちなんでいます。展示室の入口横には、「龍」にちなんだ美術品も飾られています。


アプローチのある庭にある龍をあしらった手水鉢。


展示室入口横に展示されていた、龍をあしらった中国の羽織物。

京菓子店ならでは。ユニークな資料が伝える和菓子の歴史

展示室は2階にあり、和菓子の歴史が多彩な資料で紹介されています。干菓子の形を作るための菓子木型や、菓子のデザインを描いた図案帳、御所や公家へ菓子を納める際に用いられた螺鈿や蒔絵の施された菓子入れなど、資料はどれも京菓子店ならではのユニークな品ばかりです。


「菊紋入 公家使用重箱」江戸時代末期(勧修寺家より伝来)
注文を受けて作った菓子を公家へ収める際に用いられた重箱。
全面を金粉で彩られた蒔絵の逸品です。


図案帳は菓子のデザイン集であると同時に、客に見せるカタログの意味も持っていました。
オーダーメードが主流であった京菓子において、図案帳は店の菓子を具体的に紹介すると共に、このようなものも手がけられますよ、と客に店の技術をアピールする意味も持っていたのです。どれもカラフルな色使いで丁寧に描かれたイラストが添えられており、一種の絵画帳のような雰囲気も持ちあわせています。

変わらず受け継がれる、京菓子独自の「想像させる」デザイン

京都で菓子の文化が発達したことには、いくつかの理由が挙げられます。まず、周辺地域から良質の材料が集まりやすい土地であったこと。伏見を拠点にした水運の発達により砂糖が手に入りやすかったこと。水が豊富であったこと。そして、京都では宮中への献上品や寺社への供え物としての菓子や茶道で用いる茶会菓子などが求められており、他の都市以上に菓子の需要が高い街であったことも大きな要因です。

特に京菓子と茶道の関わりは密接で、茶道の影響を受けて京菓子は一層洗練されたとも言われています。そのため、京菓子は季節感の重視はもちろん、茶道の「見立て」の感覚とも通じる象徴的・抽象的なデザインが大きな特徴となっています。「鶴」なら、白い生地をくるりと巻いて先端を少し上に伸ばしたものに赤い斑点を小さく乗せた形で表し、具体的に鳥の形そのものを作るわけではありません。干支をモチーフにした菓子でも、「虎」は顔を作らず餡を巻いた皮の上に縞模様を焼き付けるだけです。

「干支菓子」2011年制作

生菓子と干菓子のデザインと製法をまとめた図案帳。それぞれの菓銘(菓子のタイトル)から何を表しているのか想像するのも京菓子の楽しみ方です。 茶会では毎回、季節や趣向に合わせて道具が取り合わせられますが、菓子も同様に茶会の席に見合った品が求められました。その際に職人は、茶会の意味をよく汲み取り、食べ手が菓子を見た際に、菓子に込められた意味をイメージして楽しめるようにデザインしていたのです。
このような直接的ではなく相手にイメージを喚起させることを大切にする考え方は、茶道の「見立て」のほか、寺院の枯山水の庭などにも見られるものです。与えられたテーマからいかに発想し、それをどのような形にするかは、京菓子職人それぞれの腕の見せどころです。京菓子は、職人の発想力と感性の結晶ともいえます。

「勅願干支新年菓帖合本 坤」大正2(1913)年 藤澤文二郎

明治35(1902)~40(1907)年までの「御題菓子(宮中で行われる新年の「歌会始」の御題にちなむ菓子)が描かれた図案帳。京菓子は予め与えられたテーマや用途に合わせた菓子を作る文化が昔からあり、この御題菓子もそんな京菓子の特徴を踏まえたものです。現在も歌会始の際には京菓子店による御題菓子が振舞われているそうです。 実は京菓子のデザインの傾向は、江戸時代の頃から然程大きく変わってはいないのだそうです。実際、昔の図案帳に描かれている菓子たちは、現代の感覚で見ても優れたセンスや遊び心を感じるものばかりです。俵屋吉富も、昔の図案帳の中に描かれたお菓子を現代でも実際に商品として制作することがあるといいます。
本当に優れたものは、時代が変わっても受け継がれていくものである。京菓子はそんな京都の心意気を凝縮した存在なのかもしれません。

澤屋播磨 伝来「御蒸菓子絵本」江戸中

俵屋吉富の前身にあたる京菓子司「澤屋播磨」に伝わる菓子図案帳。「桜貝」「白菖蒲」などの美しい銘と共に、材料も細かく記載されています。 江戸中期のものですが、描かれた図案に古さは感じられません。今日定番のお菓子は、この本が作られたころにほぼ出揃っていたそうです。図案帳は出版文化が発達するに伴い多数出版されて出回ったため、良いデザインは広く知られるようになり、さまざまな店で取り入れられて定着していったようです。

平塚運一 菓子図「春雨」現代

版画家・平塚運一(1895-1997)による、左に菓子と用いる型、右にパッケージのデザインを描いた図面。菓子自体についても「山川の如くしっとり柔らかく…」と細かい要望が書かれており、こだわりが伝わってきます。熱心な顧客の言葉も、京都の菓子文化をより発展させる大きな力となっていました。
菓子のテーマによっては、とても形にし辛いものもあるのだそうです。2013年の干支である巳(ヘビ)はその代表で、ヘビそのものではない形で表すにはどうすればよいか職人さんもかなり悩まれたといいます。最終的には、白い饅頭を絵馬に見立て、巳の字をあしらった形になっています。

京菓子資料館

所在地

京都市上京区烏丸通上立売柳図子町331-2

開館時間

10:00~17:00

休館日

水曜日、年末年始、展示替期間

お問い合わせ

TEL:075-432-3101(俵屋吉富 烏丸店)
FAX:075-432-3102

公式サイト

http://www.kyogashi.co.jp/

■料金

入館無料(お茶席ご利用の場合のみ700円)

■交通のご案内

【地下鉄】烏丸線「今出川」駅下車、北2番出口より烏丸通を北へ徒歩約5分(西側)




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