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特集記事

京都MUSEUM紀行。第三回【駒井家住宅】

京都MUSEUM紀行。vol3 駒井家住宅

  • 第1回「日本のダーウィン」が愛した家
  • 第2回 建物に込められた、駒井夫妻の物語
  • 第3回 駒井家住宅が辿った数奇な歴史、そして今
  • PhotoGallery

建物に込められた、駒井夫妻の物語

家主である駒井卓(こまい・たく)博士(1886-1972)は、日本における遺伝学の権威といわれる人です。 明治19(1886)年の5月9日、兵庫県姫路市に生まれた駒井博士は、東京師範学校に進み、教職を経て、東京帝国大学理学部動物学選科(現在の東京大学理学部生物学科)に入学。研究者の道へと進みます。大正10(1921)年には京都帝国大学理学部(現在の京都大学理学部)の助教授に着任。大正14(1925)年、教授となり、動物分類学や動物遺伝学を担当されました。

大正12年、駒井博士は妻の静江さんとともに欧米へ渡りました。博士は主にアメリカ・コロンビア大学でショウジョウバエの遺伝学について学び、その2年後に帰国。当時最先端の遺伝学を日本へもたらし、その先駆けとなります。(ちなみに、駒井博士といえばショウジョウバエの研究が有名ですが、実は一般的によく知られている「三毛猫はほぼメスしかいない」ことを発見した方でもあります。)

駒井博士と妻の静江さん。静江さんは英語も堪能な先進的な女性でしたが、日常生活は常に和服で過ごしていたそうです。

一方でこの留学経験は、「駒井家住宅」の生まれる大きなきっかけでもありました。
アメリカで過ごした2年間。学問研究の上だけでなく、非常に先進的な西洋のライフスタイルを目の当たりにし、その中で生活したことは夫妻にとって大変印象深いことだったのでしょう。もしかしたら、帰国の途につく間に「日本でも同じような暮らしをしてみたい」と自分達の暮らす家の姿を思い描いていたのかもしれません。
駒井博士の妻・静江さん(1890-1973)は四国・丸亀教会を設立した牧師、青野兵太郎の次女として生まれ、現在もある神戸女学院の出で、非常に英語も堪能。クリスチャンとしての活動に取り組む、先進的な女性でした。そんな彼女の女学院時代の友人だったのが、ヴォーリズの妻である一柳満喜子(ひとつやなぎ・まきこ)さんでした。その縁も有り、駒井夫妻は帰国後まもなくヴォーリズに我が家の設計を依頼しました。
ヴォーリズ自身もアメリカ出身。夫妻の思い描く、アメリカ時代の生活を取り入れた家のイメージは、彼も理解しやすかったはずです。

駒井博士の敬愛の人、ダーウィン

「駒井家住宅」には、駒井博士の一番の憧れ―進化論を唱えたイギリスの学者、チャールズ・ダーウィンへの思いも、大きく影響しています。
後に「日本のダーウィン」とも呼ばれる駒井博士ですが、とにかくその憧れは非常に強いものだったようで、留学中には購入したダーウィンの伝記を常々愛読し、帰国後には自らダーウィンの日本語版の伝記を執筆したほどでした。

駒井博士の書いたダーウィンの伝記は、何度か版を変えて繰り返し出版され、戦前には広く一般に読まれました。そこに出てくるダーウィン像はまさに「科学者の英雄」といった描かれ方をしているとか。駒井博士にとって「ダーウィン」はまさに目指すべき理想の科学者だったのでしょう。

留学最後の年、駒井博士は自らダーウィンが暮らしていたという屋敷に足を運んでいます。
ダーウィンはロンドン郊外のダウンという小さな村で、人生の大半を過ごしました。緑の草木や色とりどりの花、自然に囲まれた家で、ダーウィンは数々の研究を行い、本を書き、1日の終りには長椅子に腰掛けて妻の弾くピアノの音色を楽しむという、穏やかな生活を送っていたといいます。
駒井家住宅の居間には、駒井博士が結婚祝いとして静江さんにプレゼントしたという、ドイツ製のピアノが置かれています。そしてちょうどその向かいには窓の下に作りつけられた長椅子が。もしかしたら、これもダーウィンの暮らしへの憧れから生まれたものなのかもしれません。
また、庭の北側には、当時の洋館としても珍しく、温室が設けられています。これも、ダーウィンが自宅に持っていた研究用の温室に触発され、「是非我が家にも欲しい!」ということで作られたものなのだそうです。駒井博士はここで様々な植物を育てるのを日課として、楽しんでいたのだとか。

居間(リビング)サンルームの窓のお陰でとても明るいのが印象的です。 家具はほぼ駒井夫妻が暮らしていた当時、実際に使われたものが置かれています。 ピアノはドイツのRIT MULLER社製。反対の壁には長椅子つきの窓があり、長椅子の下にはしっかり収納スペースが確保されています。


ヴォーリズの理念と駒井夫妻の理想が生んだ「共同作品」

建物の様式であるアメリカン・スパニッシュ様式は、元はスペインから北南米の植民地に伝わった建築様式で、ちょうど駒井夫妻が留学した二十世紀初頭のアメリカで再流行していました。おそらく、夫妻がアメリカ時代に目にしたのもこのタイプの建物だったと思われます。この様式は日本でも昭和初期に流行し、ヴォーリズもこの様式の住宅を数多く設計しています。

■大きな窓とサンルーム
建物に入ると、外観以上に内部がとても明るいことに驚かされます。
一階は、玄関ホールを抜けたところに居間とダイニング、そして右奥には大きな窓のついた、当時の日本では珍しかったサンルームが設けられています。このサンルーム、朝、午前中の早い時間には日の光が差し込み、電気もいらないくらいの明るさになるのだそう。
居間やダイニングも、洋館にしては大きめに窓が作られています。これは、外の光を取り入れるとともに、夏は非常に暑くなる京都の気候を考慮してのもの。開口部を多く取ることで、風通しがよくなるよう配慮されています。

ドア上の半円型の飾り窓がアクセント。これはヴォーリズがよく用いた形です。


■ 細かいところへの工夫と気配り
一見目に付かないような細かいところにも、実によく気配りがなされています。
収納のほとんどは埋め込み式になっており、決してものすごく部屋が広いわけでもないのですが、空間にとても余裕を感じます。例えば居間の窓の下に作りつけられた長いソファの下には収納棚が設けられています。本来ならデッドスペースになるようなところもきちんと有効活用するところには、感心させられるばかりです。

特に面白い造りになっているが、サンルーム横の部屋。中に入ってみるとそこはなんと和室!きちんと畳が敷かれ、掘りごたつまでついています。

サンルームは二階にも設けられています。窓の向こうには庭で一番大きな木、大王松が見えます。得大サイズのまつぼっくりがピアノの上などにさりげなくディスプレイされていました。


サンルーム側の扉は洋式のドアのよう(色も青白色です)なのに、実は和式の引き戸。窓も、外から見ると半円アーチのついた洋風の窓なのですが、内側には障子が取り付けられています。一見しただけでは、まさか和室とサンルームが続いているとは気づきません。この和室は普段は着物で過ごしていた静江さんの希望に、日本の建築にも理解が深かったヴォーリズが応えたものだったと考えられています。屋根瓦を日本の桟瓦にしたことと同様、見事な和洋折衷です。

■ 駒井夫妻のこだわりスポット
他にも、駒井夫妻の希望やこだわりが取り入れられた部分は部屋のあちこちに見ることができます。

例えば、各部屋のドアには天然の水晶を用いたドアノブが取り付けられています。今となってはこれだけでも大変貴重です。
このドアノブには水晶が無色透明と紫色の二種類があります。これは家族のプライベートな場所の場合は透明、そうではない、外やお客様も使う場所へ通じるものは紫色にし、色で判別がつくようにしています。このドアノブはヴォーリズの建築ではよく用いられているのだそうです。

また、普通洋館のリビングには暖炉がつきものですが、「駒井家住宅」には暖炉はありません。質素な生活を好んでいた駒井博士が「暖炉はつけないで欲しい」と希望したためです。そこで、暖炉の代わりにだるまストーブが置かれ、煙突につなげられました。
煙突も最初の設計段階ではなかったそうですが、設計者ヴォーリズの意図から現在の形になったのかもしれません。

ヴォーリズと駒井夫妻のこだわりのぶつかりあいが感じられるこのエピソードですが、互いに積極的に意見を出し合っていた様子が伺えます。

特別に見せて戴いた、隠し引き出し。玄関のすぐ近くにあり、靴磨きの道具などが収められていました。さりげないけれど、必要なときにすぐに使えるようにしてあるところが素敵。
水晶のドアノブ。右が無色透明でプライベートスペース、左が紫色で外や居間・客間などお客様を通すスペースに繋がっています。デザインと機能面がしっかり両立されています。

ヴォーリズ自身は、いわゆる「プロの建築家」というわけではありませんでした。元は日本にキリスト教の伝道者としてやってきた人で、当初は英語の教師を勤めていましたが、すぐに失職。その後、以前から興味を持っていた建築の道に進んだ、という少し変った経歴の持ち主です。建築設計のほかにも、会社(近江兄弟社)を立ち上げて薬を販売したり、学校や病院の設立に協力したり、と様々な社会活動を行っています。「建築家」としての顔は、ヴォーリズという人のごく一部といえるでしょう。

ヴォーリズはあくまでその家に暮らす人が快適に過ごせること、何代も長くその空間に暮らせること、そちらの方を重視していました。凝ったデザインや派手な装飾といったものを施すことは望まなかったのです。
もちろん、彼がまったく家のデザインにこだわりがなかった、というわけではありません。むしろ彼のこだわりは、周囲の環境とのバランスや、そこに暮らす人の満足に向いていたのでしょう。その分、彼はプロの建築家によくある「己のデザインや個性をいかに出すか」という点にはあまり固執しませんでした。

外のテラス横に見える煙突。この煙突はヴォーリズ建築の特徴のひとつです。
居間とダイニングのちょうど境目にあたります。


そのためには、設計者と依頼主、互いのコミュニケーションが不可欠です。ヴォーリズは駒井夫妻の希望を柔軟に聞き、意見を交換し、設計に取り入れていきました。この姿勢はある意味、現代の住宅建築にも通じることです。

「駒井家住宅」に見える、ヴォーリズの理念と駒井夫妻の希望やこだわり。どちらが欠けても、この家が生まれることはなかったのです。まさに、ヴォーリズと駒井夫妻の「共同作品」といっても良いのではないでしょうか。
駒井夫妻にとっては理想の家そのものだったことでしょう。

そして昭和2年、ついに家が完成しました。
その時、どんなに彼らが満ち足りた表情をしていたのか…想像すると、何だかほほえましくなってしまいます。
<つづく>

昭和初期、完成した頃の駒井家住宅。
二階のサンルームは後にテラス部分を改造して作られたため、この当時はまだありません。しかし、ほぼ現在と同じ姿になっています。

駒井家住宅

駒井家住宅

所在地

〒606-8256
京都府京都市左京区北白川伊織町64

時間

10:00~16:00(入館は15:00まで)

開館日

毎週金曜日・土曜日
(ただし、7月第3週から9月第1週・ 12月第3週から2月末までは休館)

お問い合わせ

電話番号:

075-724-3115(公開日のみ)
03-6380-8511 ((財)日本ナショナルトラスト

FAX番号: 075-724-3115

メールアドレス: info@national-trust.or.jp

公式サイト

http://www.national-trust.or.jp/properties/komaike/k.html

■料金

一般:大人500円、中学生・高校生200円、小学生以下は無料(ただし、保護者同伴)

(財)日本ナショナルトラスト会員:無料

 

■交通のご案内

【電車】
叡山電鉄「茶山」駅下車 徒歩7分

【市バス】
3番 上終町ゆき「伊織町」下車 徒歩2分
5番 岩倉操車場ゆき「北白川小倉町」下車 徒歩4分
204番 錦林車庫ゆき「伊織町」下車 徒歩2分

【駐車場】
無し


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