【レポート】やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)
「アンパンマン」の生みの親として知られるやなせたかしさんの、初めての大規模巡回展が美術館「えき」KYOTOで開催されています。
本展は、やなせさんの故郷・高知県の香美市にあるやなせたかし記念館アンパンマンミュージアムが2026年で30周年を迎えることを記念し、約200点の原画を中心にやなせさんの多岐にわたる活動をさまざまなテーマでひも解きます。 「アンパンマン」はもちろん、それ以外の作品もたっぷり味わえる、展覧会。その様子をご紹介します。
※写真は特別に許可を得て撮影したものです。一般の撮影は会場外のフォトスポット等一部に限られますのでご注意ください。
漫画からデザインまで!
マルチアーティストとしてのやなせたかし
展示作品数は約200点という大ボリューム!貴重な原画や原稿、スケッチなどが所狭しと並んでいます。また、やなせさんはエッセイなど文章を多数書き残していることもあり、随所にやなせさん本人の言葉が添えられ、各作品に取り組んでいた当時の心境や裏話、創作に対する姿勢を知ることができます。
第1・2章では、東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)での学生時代から第二次世界大戦での徴兵を経て戦後勤務した高知新聞社、三越宣伝部など、各時代にやなせさんが手掛けた作品を通じてその道のりを振り返る内容になっています。
元々、やなせさんが育った高知県は有名な漫画家を多く輩出している地域。やなせさん自身も、同郷かつ高校の先輩である横山隆一さんの影響で漫画家を志したのだとか。
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
三越広報部時代の作品
新聞社で漫画や挿絵イラストなどを手掛けて経験を積んだ後、やなせさんは上京。三越のグラフィックデザイナーと漫画家、"二足のわらじ"で活動を続けます。三越の包装紙にあしらわれている「Mitsukoshi」のレタリングを手掛けたのがやなせたかしさん、という話はご存じでしょうか?当時の貴重なデザイン画なども紹介されていますよ。
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
『手のひらを太陽に』自筆の詩とイラスト
1953年に漫画家としての収入の方が三越での収入を上回ったため、やなせさんはついに専業漫画家に。しかし長編ストーリー漫画が隆盛すると、やなせさんが主体とする短編のコマ漫画は下火となり、なかなかヒット作に恵まれないやなせさんは模索を続けることになります。そのなかで生まれたのが今も多くの人に知られる名曲『手のひらを太陽に』でした。
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
その他にもやなせさんはNHKの「まんが学校」の講師、手塚治虫のアニメスタジオ「虫プロダクション」制作の長編アニメ映画『千夜一夜物語』の美術監督、舞台美術や放送作家など、漫画以外にもさまざまな仕事をこなしていました。
活動の幅を広げ、マルチアーティストとなっていった様子を実感することができます。
やなせたかしの心情にふれる、詩と絵本の世界
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
第3章では、やなせさんが手掛けた詩の世界に注目します。
ここではやなせさんの詩とそのイメージを表現したイラストや絵画作品が中心に展示されています。
やなせさんが詩や絵本の創作を本格的に始めたきっかけは、1960年代。詩集を出そうとしていたやなせさんに、山梨シルクセンター(現・サンリオ)の社長である辻信太郎氏が「うちで出しましょう」と声をかけたことだったそうです。なんと出版部を新設してしまったのだとか!
やなせさんが編集長を務めサンリオから30年にわたり発行された雑誌『詩とメルヘン』についてもこちらで紹介されています。
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
描かれているのは美しい夕焼けや星空、緑豊かな山々などなど。これは故郷・高知の風景にインスパイアされたものなのだそう。「なるべく綺麗な漫画を描きたい」と考えていたというやなせさんにとっての「きれいなもの」は幼いころに目にした風景に原点があったようです。
イラストに添えられた詩や文章は、どこかチクリと痛みを感じさせたり、傷を抱えた人に寄り添うような温かい内容が多く見られます。
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
第4章は絵本作品にフォーカスした展示。
やなせさん曰く「小説でもなく 童話でもなく 詩でもなく 絵物語でもなく また それらのすべてでもあるような」(『アゴヒゲの好きな魔女』まえがきより)というのがやなせさんの作る物語。これらは「やなせメルヘン」と称されました。
また、やなせさんは物語の創作活動において、子ども向けの絵本作品に活動の場を拡げていきます。
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
絵本『やさしいライオン』の原画
『やさしいライオン』はみなしごのライオンと育ての母犬、血のつながらない親子の絆を描いた作品。
ここでは『チリンのすず』『やさしいライオン』など「アンパンマン」以外のやなせさんを代表する絵本作品の原画が多数紹介されています。
作品には「母と子」「血のつながらない家族」「孤独な存在に寄り添うもの」といった設定が共通して見られます。これはやなせさんの生い立ちや戦争経験が影響しています。やなせさんの心の深い部分、創作の核ともいえる部分に触れられるコーナーです。
小さな読者たちが支え育んだアンパンマンの世界
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
香美市立やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム(高知)のためにやなせさんが描きおろしたアンパンマンのタブロー(絵画作品)。館外展示はほとんどないので、高知以外で見られるのは貴重な機会!
第5章ではいよいよ「アンパンマン」の作品たちが紹介されます。
冒頭には高知のアンパンマンミュージアム開館時にやなせさんが描き下ろしたアンパンマンシリーズの大きなタブロー(絵画作品)がずらりと並びます。
詩情やイメージを掻き立てられる一枚絵のテイストで味わうアンパンマンの世界はなんだか新鮮に感じられます。
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
「アンパンマン」シリーズの"悪役"、
ばいきんまんとドキンちゃん誕生秘話を綴った文章とイラスト。
やなせさんがキャラクターの誕生秘話や裏設定などをイラストを添えて語った作品や、貴重な連載漫画版「アンパンマン」の原稿も。
今では誰もが知るアンパンマンのキャラクターたちですが、「えっ、そうだったのか!」と驚かされるような情報もたっぷり。ファン必見のコーナーになっています。
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
やなせさんが編集長を務めていた「詩とメルヘン」連載版「熱血メルヘン 怪傑アンパンマン」(1975年頃)の原画。大人向けのお話で、テイストが全然違って驚かされます。
「アンパンマン」が最初に世に出たのは1969年。短編集の中のお話のひとつ、という扱いでした。初期の「アンパンマン」は想定読者の年齢層を高めに設定しており、内容も大人向けで勧善懲悪のヒーローものに対するアンチテーゼの意味合いが強かったようです。画風も「えっ、これがアンパンマン?」と思ってしまうほどイメージが違います。
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
子ども向けの月刊絵本「キンダーおはなしえほん」で描かれた『あんぱんまん』の複製画(1973年)
その後1973年に子ども向けの絵本として、月間絵本「キンダーおはなしえほん」で発表されたのが「あんぱんまん」。今では信じられない話ですが、当時は自分の顔の一部を人に食べさせるのが残酷だとか、頭がなくなっても動いているのが怖いなど、大人たちからは大不評だったのだそうです。しかし「傷つくことなしに正義は行えない」と語っていたというやなせさんにとって、「自らが傷ついても目の前で苦しむ他者を救う」アンパンマンの行為は正義の象徴であり、最も重要なところだったはずです。
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
手前は市販絵本版『あんぱんまん』の表紙複製画(1976年)
一方でアンパンマンは幼稚園や保育園などで大人気になり、評価が上昇。小さな子どもたちによってアンパンマンは一躍やなせさんの代表作へとのし上げられていきました。
この時のことを振り返ったやなせさんは「なんの先入観もなく、欲得もなく、すべての権威を否定する、純真無垢の魂をもった冷酷無比の批評家が認めた」(『アンパンマンの遺書』より)と述べているそう。純粋に自分の作品を好きになってくれた子どもたちへの感謝と尊敬の念を、やなせさんは常に大切にしていました。
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
この章のしめくくりには、東日本大震災の際の支援活動の一環で描き下ろされた大きなアンパンマンのポスターが掲げられています。この当時やなせさんは加齢もあり作家活動の引退を考えていたそうですが、震災を機に撤回。このポスターをはじめとする作品創作を通じ、多くの支援活動を行いました。苦しむ人のそばに寄り添うヒーローとしての「アンパンマン」の在り方の象徴ともいえます。
「人生はよろこばせごっこ」生涯エンターテイナー・やなせたかし
やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ(美術館「えき」KYOTO)展示風景より
やなせさんが自ら主宰したパーティーやコンサートで実際に着ていた衣装。
どれも本当にお洒落です!
エピローグでは、絵本や漫画だけに留まらないやなせさんの活躍を、愛用品やお気に入りの服などとともに紹介しています。
1950年代から映画や舞台などのショービジネスに関わっていたやなせさんは、その経験を活かしなんと歌手デビュー!自らを「オイドル(老いドル)」と称し、ステージに立ってリサイタルを開催したほか、80歳を過ぎてからCDまで出されています。
病床についた奥様を励ますために華やかな衣装に身を包み、アニメの声優さんなどを招いたパーティーも開催。その後も90歳近くまで継続され、それらのパーティーの様子が映像で紹介されています。
「人生の楽しみの中で最大最高のことは、やはり人を喜ばせることえしょう。」(『人生なんて夢だけど』より)と話していたというやなせさん。人を喜ばせるエンターテイナーとしての姿はやなせさんの生き方そのものを象徴しています。
最近ではNHK朝の連続テレビ小説のモデルになるなど注目がさらに高まっているやなせたかしさん。しかし、名前は知っていてもその活動の全貌を知っている人は意外と少ないかもしれません。作品を通して、その生き方と在り方にじっくりと向き合える展覧会でした。
開催は8月24日まで。