【レポート】志村ふくみ 百一寿 ー夢の浮橋ー(細見美術館)

志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-(細見美術館)展示風景【写真は前期(~4/12)のものです】
紬織(つむぎおり)の分野で人間国宝に認定されている、染織家の志村ふくみさん。101歳を迎えられた今も、美しいものを手に取りながら穏やかな日々を過ごし、自然や色彩への深いまなざしを持ち続けています。
そんな志村さんの近年の活動を中心に紹介する特別展「志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-」が、京都の細見美術館で開催中です。同館での志村さんの展覧会は、これで3度目となります。
今回の展示は、代表作や初公開の新作を中心に、随筆家としての「ことば」や、着物の残り布(小裂)を使った作品など、着物に留まらない多角的な構成が見どころ。志村さんの自然に対する深い思索を通して生まれた、独自の色彩表現を堪能できる内容となっています。
※本記事は前期展示の内容をもとに執筆しています。観覧時期により、展示内容が異なる場合がありますので予めご了承ください。
「色」で読む文学――志村ふくみの『源氏物語』シリーズ

志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-(細見美術館)展示風景
第一展示室では、志村さんが70代半ばから取り組んでいる『源氏物語』をテーマにした連作が紹介されています。 物語の各帖(各エピソード)からタイトルをつけ、その世界観を色や織りで表現しているのがその特徴。今回は細見美術館が所蔵する源氏物語にまつわる美術品とのコラボレーション展示も楽しめます。
なかでも注目したいのが、新作の《朧月夜(おぼろづきよ)》と《夢の浮橋(ゆめのうきはし)》です。

《朧月夜》2025年 志村ふくみ監修/制作:都機工房 個人蔵【通期展示】

《朧月夜》の裾部分。よく見ると金糸で表された月が浮かんでいます。
《朧月夜》は、若き光源氏が政敵の娘・朧月夜と出会い、禁断の恋に落ちる場面をイメージした一着。深い藍色から紫へと変化するグラデーションが二人の出会った宵闇を彷彿とさせ、織り込まれた金糸が月明かりのように輝きます。角度によって見え隠れする輝きは、まさに朧月夜そのもの。裾の方には、春の闇夜に浮かぶ月も表現されていました。

志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-(細見美術館)展示風景より
《夢の浮橋》2025年 志村ふくみ監修/制作:都機工房 個人蔵【通期展示】
もうひとつの《夢の浮橋》は、『源氏物語』の最終巻、光源氏の没後を描いた「宇治十帖」の最後を飾る物語です。志村さんは年齢を重ねるにつれ「宇治十帖」に関心が高まっていったといいます。 作品には、「宇治十帖」に登場する三人の姫君、大君と中君、そして浮舟のイメージが投影されています。
他の姫君たちに比べ、大君と中君はあまり個性が強く描かれていません。それを踏まえ、志村さんは二人を「色がない=白」を基調に表現しました。
それに対し、浮舟は物語の終盤に、恋心の板挟みに苦しんで川に身を投げ、僧侶に助けられ出家します。 浮舟は一度"死"を迎え、助けられて新たな"生"を得たことで、改めて自分自身として生き始める――つまり「色を得る」のです。
格子の模様は川を、縁の紫色と緋色は浮舟の心の変化を表しているかのようです。
古来より高貴な色とされてきた紫色は、志村さんの作品に欠かせない色。紫草(むらさき)という植物の根(紫根)を使い、『延喜式』にも記された伝統的な技法で抽出されています。
しかし、紫根の栽培は大変困難で、国産品は絶滅危惧種に指定されるほど希少な存在。さらに、気温や湿度の変化を受けやすく、色が極めて不安定な点も特徴です。 志村さんはその紫の移ろいやすさを、源氏物語に登場する女性たちの揺れ動く心に重ね、風合いの異なる様々な紫を作品に取り入れました。 まさに「色で読む文学」と呼ぶにふさわしい逸品です。

志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-(細見美術館)展示風景より
右:《鈴虫》1959年 滋賀県立美術館蔵
なお、『源氏物語』シリーズは最初から物語を想定して制作されることもあれば、以前の作品が後から加えられるケースもあるといいます。 その例が《鈴虫》です。志村さんが活動を始めたばかりの頃の作品ですが、後に「これは「鈴虫」の場面に相応しい」と改めて『源氏物語』シリーズに加えられました。
秋の夕暮れを感じさせる深い藍色のグラデーションからは、今にも虫の音が聞こえてきそうな情緒が漂います。
装束が人物を表す!新作能『沖宮』の世界

志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-(細見美術館)展示風景【写真は前期(~4/12)のものです】
第二展示室では、作家の石牟礼道子(いしむれ みちこ)さんとの交流から生まれた新作能『沖宮(おきのみや)』の装束が展示されています。
『沖宮』の舞台は、石牟礼さんの故郷である熊本県天草地方。島原の乱の後、主人公の少女・あやは、干ばつに苦しむ村を救うため、雨の神である竜神の人身御供とされます。そこに天草四郎の亡霊が現れ、あやを"いのちの母なる神"がいるという海底の「沖宮」へ導く――という物語です。
かねてより親交のあった石牟礼さんと志村さんは、東日本大震災の折、往復書簡を通じて「自然に対する人の在り方」「人間も自然の循環の一部である」という構想を深めます。その際、落ち込んでいた石牟礼さんを励まそうと、志村さんは「夢の浮橋」と題した箱入りの色糸を贈りました。そこから『沖宮』の企画が生まれたそうです。

舞衣《紅扇》志村ふくみ監修 制作:都機工房 2021年 個人蔵【前期展示】
※後期は公演で用いられた長絹《紅扇》(2018年制作)を展示
石牟礼さんとの対話のきっかけが色糸だったこともあり、志村さんは装束の色の表現に非常に力を入れられました。
例えば、ひときわ目を引く緋色の舞衣《紅扇(べにおうぎ)》は、主人公・あやの装束。紅花を贅沢に使い、何度も染め重ねることでたどり着いたという鮮やかな緋色は、物語のテーマである「命の再生」を象徴し、あやのテーマカラーとなっています。
紅花は花びらのみを使うため、一度の収穫量が少なく量を集めることが難しい染料。しかも、その色鮮やかさが織手にとっては目の負担も大きく作るのがとても大変なのだそうです。石牟礼さんのイメージに合致した色彩を求めた志村さんの比類なき努力が感じられます。

小袖《Francesco》志村ふくみ監修 制作:都機工房 2021年 個人蔵【前期展示】
一方、あやを導く天草四郎をイメージした《Francesco》は水縹(みはなだ)色という日本の伝統色です。水色より少し薄い澄んだ色合いは天草の海の色を思わせ、密度の違う模様は絶えず変化する波のよう。あやの緋色とも美しい対比を見せています。
他にも装束が紹介されていますが、《紅扇》と《Francesco》は関西では今回が初公開。まだ実際の舞台でも使われていないそうで、次回の再演の機会には使用が予定されています。(後期は前回公演の際に使われた装束を示予定)

志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-(細見美術館)展示風景より【写真は前期(~4/12)のものです】
展示室には他にも、志村さんの代表作である「琵琶湖シリーズ」の作品や、娘で同じく染織家の志村洋子さんの作品も紹介されています。
琵琶湖シリーズは藍染にこだわった連作で、グラデーションの入り加減で琵琶湖のさざ波や浜辺の風景を見事に表現しています。志村さんの色は離れた土地の景色や風までもを見る人に語りかけます。
洋子さんの作品は西洋の色彩論の知識やキリスト教・イスラム教などの文化にインスピレーションを受けたもの。母・ふくみさんとはまた異なる世界観が表現されています。
小さな裂から広がる、志村ふくみの創造世界

志村ふくみ 百一寿 ー夢の浮橋ー(細見美術館)展示風景より【写真は前期(~4/12)のものです】
カードのようなものは裂地を装飾に用いたかるた。
他にも和歌や小説をしたためた書作品や、作品に使っている生糸なども。まるで宝石箱のような展示ケースです。
第三展示室では、着物以外の志村ふくみさんの表現世界を紹介。端切れ(はぎれ)を用いたアート作品や、書画作品などが展示されています。

志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-(細見美術館)展示風景より【写真は前期(~4/12)のものです】
手前:《聖夜》2005年 個人蔵
志村さんは2005-6年頃、体調を崩して織物製作が困難になった時期がありました。その際に思いついたのが、着物の残り布で作品を作ること。大切に溜めていた端切れたちが、まるで「私を使って」と語りかけてきたように感じたといいます。
そうして生まれたのが、貼り絵作品の《聖夜》。小さな切り取られた布をクリスマスのイルミネーションや夜空に煌めく星のように配した、可愛らしいファンタジックな作品です。
ちなみに、作品を作っているうちに志村さんの体調も回復していったのだそう。創作者にとっての一番の薬は作ること。作ることをやめないこと、なのかもしれません。

志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-(細見美術館)展示風景より【写真は前期(~4/12)のものです】
写真は雛形。実際の着物の裂を使っていることもあり、まさにミニチュアの着物といった雰囲気です。それぞれにタイトルもつけられています。
その他、試し織の裂地を紙に貼り、ミニチュアの着物に仕立てたような「雛形」や、裂地を四季折々のイメージで分類し、季節ごとにまとめた「小裂帖」、さらには裂地で作った「かるた」や絵手紙風の作品などが並びます。 着物の枠を超えて広がる、志村さんのイマジネーションの豊かさには驚かされるばかりです。

上:土屋仁応《麒麟》(2014年制作)と《ミニチュアDeer01》 ともに個人蔵
下:志村ふくみ《タペストリー》個人蔵
展覧会の最後を飾るのは、彫刻家の土屋仁応(つちや よしまさ)さんとのコラボレーションから生まれた作品『メテオ 詩人が育てた動物の話』。 志村さんが、土屋さんの創った彫刻《麒麟》に着想を得ておとぎ話を綴り、それに土屋さんが絵を描き下ろして生まれた絵本です。 会場には、インスピレーション源になった彫刻《麒麟》と《ミニチュアDeer01》が、志村さん作のタペストリーの上に展示されています。
絵本に登場する《麒麟》をモデルとした架空のいきもの「メテオ」は、「詩人の美しいことばだけを食べて育つ」と志村さんは綴っています。 タペストリーは、白を基調に金糸が織り込まれ、清らかで神秘的な輝きを放っていました。
この「白」も、志村さんにとってはとても大事な色。 実は絹糸に用いる蚕の種類や、糸を作る際の製法によって「白」の色合いも変わってくるそう。会場では、生糸・紬糸・生絹・天蚕糸のサンプルが紹介されていました。染めていない状態でも、輝きや風合いが全く異なっているのがわかります。
目に映る景色や深い思索を、色のかたちで布にあらわしていく志村ふくみさん。その作品はまるで「色」そのものが何かを語りかけてくるような雄弁さを持っています。
志村さんの「色」をもたらすのは、すべて自然の草木です。それは、何かあれば簡単に失われてしまうものでもあります。戦争経験者でもある志村さんは平和への想いも草木染をすることに込めているといいます。 人は自然の中で生きていて、布に使う糸も染める色も自然からもらっている。平和でなければその自然は保たれない。 100歳を超えた今も、「色」を通じて己の心や自然を見つめて来た志村さん。その色彩の中に込められた静かな祈りを、改めて感じる機会でもありました。
会期は5月31日まで。会期中に展示替えとなる作品があります。