Report&Reviewレポート・レビュー

【レポート】特別展「日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970」(京都市京セラ美術館)

2026/03/04

日本画はここまで自由になった――
戦後京都で生まれた日本画前衛運動の軌跡

nihongaAG_repo_01.jpg

第二次世界大戦後、日本では社会の価値観が大きく変わり、急速な欧米化が進みました。その影響は美術の世界にもおよび、新時代に相応しい美術を生み出そうとする動きが活発化します。それは日本画においても例外ではなく、戦後の新しい表現を模索する動きが、制作の中心地を担っていた京都で巻き起こります。

そんな京都での日本画前衛運動を紹介する特別展「日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970」が、京都市京セラ美術館で2026/2/7から開催されています。

本記事では、その内容をプレス内覧会(2026/2/5)の取材をもとにご紹介します。

本展は会期中に展示替が行われます。
来館時期により、本記事で紹介した内容と展示作品が異なる場合がございます。予めご了承ください。
※本記事は第1期【2026/2/1~3/1】の展示内容をもとに構成しています。

「日本画アヴァンギャルド」とは?

戦後の前衛美術運動といえば、1954年結成の具体美術協会が広く知られています。しかし、京都ではそれに先駆けて1940年代から、日本画を中心に前衛美術運動が始まっていました。
本展はこれを「日本画アヴァンギャルド」と名付け、京都で誕生した3つの前衛美術団体の活動を中心に、戦後日本画革新の時代を体系的に紹介するものです。

創造美術|「世界性に立脚する日本絵画」を掲げた戦後日本画の転換点

nihongaAG_repo_02.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景
奥:上村松篁《山鹿》(1936年)、手前:上村松篁《池》(1954年)ともに京都市美術館蔵【通期展示】

最初に紹介されるのは、1948年発足の「創造美術」。
後に「新制作協会」と名を改め、現在は「創画会」として存続している、戦後日本画を代表する美術団体です。

1940年代後半当時、日本画は旧体制、封建的な価値観の象徴と見なされ、"日本画滅亡論"が唱えられるほどの逆風にさらされていました。
日本画は伝統様式の継承に固執しており、時代性を反映できていない、という批判のほか、官展(文展・日展)の閉鎖的な審査体制への不満も高まっていたことが背景にあります。
そうした状況に危機感を抱いた画家たちが、既存の画壇に反旗を翻すべく結成したのが「創造美術」です。

nihongaAG_repo_03.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景
右:秋野不矩《砂上》(1936年/京都市美術館)【通期展示】
左:秋野不矩《少年群像》(1950年/浜松市秋野不矩美術館)【展示期間:2/7~3/1】

中心を担ったのは、秋野不矩や上村松篁、向井久万、奥村厚一など、既にある程度画壇で知られていた40代頃の中堅画家たちでした。
画壇で活躍するには官展とつながりのある組織に属するのが当たり前の時代、そこから次代を担う画家たちがまとめて独立するということで、「創造美術」の設立は、戦後日本画の転換点として非常に驚きをもって迎えられたといいます。

「創造美術」の綱領には「我等ハ世界性に立脚スル日本絵画ノ創造ヲ期ス」とあります。
既存の枠組みから離れ、国内のみならず世界に通用する日本ならではの絵画を生み出そう、という意思が読み取れます。

nihongaAG_repo_04.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景
左:向井久万《男児生る》(1941年/京都市美術館)【通期展示】
右:向井久万《浮游》(1950年/泉佐野市立歴史館いずみさの)【展示期間:2/7~3/1】

展覧会では、作家ごとに「創造美術」結成前後の作品が並べられており、なかには同じ画家の作品とは思えないほど劇的に変化しているものもあります。油彩画のような荒々しい筆致を活かした秋野不矩や、人体の形状そのものを表現しようとした向井久万はその一例です。
伝統的な日本画の画題から解き放たれ、自分の描きたいものを追求しようとした画家たちの姿勢が伝わってきます。

日本画アヴァンギャルドの黎明

nihongaAG_repo_16.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景
左:山崎隆《風》(1940年/京都市美術館)【通期展示】
右:山崎隆《歴史》(1939年/京都国立近代美術館)【展示期間:2/7~3/22】
いち早く前衛表現に取り組んでいた山崎隆。こちらは日中戦争で出征した際に現地で見た光景をもとに描いた作品。

第2章では、日本画の前衛美術運動の前夜ともいえる、戦前の前衛画家の活動が紹介されています。

日本画の前衛運動は決して戦後になってから突然始まったわけではありません。既に1930年代から、西洋のキュビスムやシュルレアリスムなどの前衛美術に触れていた人を中心に、抽象表現や試みられていました。しかし、戦時になると抽象的な表現は時勢に相応しくないと憚られ、活動は下火になってしまいます。

展覧会では、後にパンリアル美術協会の設立にも参加した山崎隆を中心に、田口壮、西垣籌一など、日本画アヴァンギャルドの先駆けともいえる画家の作品が並びます。モダニズム建築やレントゲン室といった最先端技術を示すモチーフを採用したり、抽象画やシュルレアリスムを取り入れるなど、新しい表現を模索する様子がこの頃の絵からも見ることが出来ます。

パンリアル美術協会|ミクストメディアへ拡張していく日本画の革新

nihongaAG_repo_06.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景
右手前:三上誠《灸点万華鏡》(1966年/京都市美術館)【展示期間:2/7~3/1】
奥:星野眞吾《喪中の作品・手》(1964年/東京都現代美術館)【展示期間:2/7~3/1】
三上誠の作品はお灸を受けた体験から発想したもの。虚弱だった三上は、自分の体や生死への感覚を作品に表現しました。
星野眞吾は、実父を亡くし火葬した経験から、人の痕跡を手形などで絵に残す表現を試みました。

第3章に登場するのが、1949年に結成された「パンリアル美術協会」。こちらは京都市立絵画(美術)専門学校――現在の京都市立芸術大学で日本画を学んだ2~30代の若手画家が中心となって組織されました。
なかには在学中から評価され「創造美術」に誘われていたメンバーもいたそうですが、世代に差があると同じ感覚での活動は難しいと考え、若手だけの美術団体を組織することにしたといいます。

その設立宣言「パンリアル宣言」の内容はまさに激烈。旧来の画壇の退廃性を真っ向から否定し、新たなムーブメントを起こそうとする若者たちの意欲がほとばしっています。

吾々は日本画壇の退嬰的アナクロニズムに対してここに宣言する。眼玉を抉りとれ。四畳半の陰影にかすんだ視覚をすてて、社会の現実を凝視する知性と、意欲に燃えた目を養おう。

なお、「パンリアル」の「パン」は「汎=すべて」、そして「リアル」は「リアリズム」の意。自分たちが生きる社会の現実を反映した、新しい自由な美術をつくろうという想いが組織名に込められています。

nihongaAG_repo15.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景より
下村良之介《祭》(1949年/京都国立近代美術館)【展示期間:2/7~3/1】
第1回パンリアル展の出品作。日本の祭りの熱気をキュビスムで表現したエネルギッシュな作品。

本展で紹介されているのは、三上誠、星野眞吾、下村良之介など創立メンバーの作品です。
初期はシュルレアリスムやキュビスムの影響が色濃く、当時の若手画家たちの関心の在処が見て取れます。
それがやがて、紐や紙粘土で凹凸を表現したり、布や木片など絵具ではない異素材を取り入れた「ミクストメディア」の表現が多く見られるようになっていきます。

nihongaAG_repo07.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景
大野俶嵩《緋 No.24》(1964年/京都市美術館)【通期展示】
麻袋の厚みは数㎝ほどあり、画面からモチーフが飛び出す立体的な表現が特徴です。

本展のメインビジュアルになっている大野俶嵩の《緋 No.24》は、単色で塗った板に麻袋(ドンゴロス)をそのまま貼りつけたという大胆な作品。実物を見るとその立体感に驚かされます。発表当時も「これは日本画といっていいのか」と仲間内で論議が起きたという問題作だったそうです。

パンリアル美術協会の活動は、素材や支持体の扱いにおいても、日本画の概念や定義そのものを問うほどに、表現の可能性を大きく押し広げるものでした。

ケラ美術協会|"宇宙時代の絵画"を目指して

nihongaAG_repo08.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景
野村久之《Sanctuary》(1960年/京都市美術館)【通期展示】
麻布や卵のパックなどを支持体に貼りつけ、上からラッカースプレーをかけた作品。
自分の生活で身近な素材を用いることが「リアル」の表現となっています。

第4章で取り上げるのは、パンリアル美術協会の結成から10年後に誕生した、1959年結成の「ケラ美術協会」です。こちらも創立メンバーは京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)で日本画を学んだ若手画家たち。先輩にあたるパンリアル美術協会の活動を見て育った次世代の組織でした。

名前の「ケラ」にはラテン語で細胞・単位を意味する言葉。これには「細胞が分裂・拡大するように運動があらゆる人に賛同される」という想いが込められています。

発足宣言の冒頭も特徴的です。

20世紀後半は宇宙時代だ。地球上の争いのごときは、宇宙からみれば夫婦げんかにすぎない。ましてや日本の、しかもこの中の画壇の動きに至っては、まるで大海に浮かぶ水泡のようなものだ。

1960年代の若手画家たちは、画壇の因習を情熱で打破することをうたい、「真にユニークな絵画」を追求しました。

nihongaAG_repo12.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景
榊健《Opus.63-4》(1963年/京都市美術館)【通期展示】
白く塗っただけのキャンバスを変形させた作品。絵画の純粋性の希求を目指したという。

ケラ美術協会の作品は、もはや岩絵具を使わずペンキなどの塗料を用いたり、なにも描いていないキャンバスを波打たせて形を作ったり、卵のパックなどを支持体に貼りつけたりと、表現はさらに大胆に拡張しています。なかには絵画どころかほぼ彫刻のような作品も見られ、平面と立体の境界すら超越しようとしている姿勢がうかがえます。

nihongaAG_repo14.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景
右:楠田信吾《WORK》(1963年/京都国立近代美術館)【通期展示】
車やバイクのバッテリーのロゴを石膏で形取り、画面に貼りつけた楠田の代表作。
当時の若者にとって身近なものを作品として表現している。

ケラ美術協会は、精力的に展覧会を開催するほか、共同生活をしながら創作活動を行う「北白川美術村」を建設するなど、独自の活動で雑誌にも取り上げられ、注目を集めました。
彼らはやがてアメリカの現代美術市場でも注目され、メンバーの一部が渡米して活動することになったのを機に解散することになります。
戦後の日本美術が、日本の絵画という枠組みから国際的な現代美術の文脈へ開かれていったターニングポイントと言えるでしょう。

日展と抽象日本画|主流画壇にも広がった前衛の波

nihongaAG_repo09.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景
徳岡神泉《流れ》(1954年/京都市美術館)【通期展示】

最終章では、丸木位里や徳岡神泉、杉山寧など、戦後の日本画壇を代表する日本画家たちによる抽象画作品が紹介されています。

戦時中の国粋主義的な風潮によって抑圧されたものの、戦前からキュビスムなどヨーロッパの前衛表現に触れていた画家は多くいました。戦後に表現に対する外圧がなくなったことで、再び抽象・前衛的な表現が試みられるようになります。

nihongaAG_repo_10.jpg
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970(京都市京セラ美術館)展示風景
手前:堂本印象《無礙》(1958年/京都市美術館)【通期展示】

そんな戦後の抽象日本画の象徴的存在のひとりが、堂本印象。
印象は戦前は仏画や歴史画など伝統的なスタイルの日本画を描き、既に高い評価を得ていました。それが、戦後に初めてヨーロッパを訪れアンフォルメルなど西洋の前衛表現に触れたことを機に、抽象的な作風へ大転換します。

日本画壇のメインストリームを担った画家たちも、前衛・抽象的な作品を描くようになった。前衛運動が目指した新しい日本画を求める動きは、主流の画壇にも及んでいたこと、確かな時代の変化をうかがわせます。

パンリアル美術協会への現代からの"応答"

nihongaAG_repo11.jpg
「77年後のリフレクション KYOTO 2026」(藤井大丸)の展示より
第1クール(2/6~15)の展示を担当された山本雄教さん。
山本さんは京都生まれ、成安造形大学造形美術科日本画クラスのご出身です。
展示作品は代表作の〈1円玉フロッタージュ〉シリーズの自画像シルエットを、金箔張りのブルーシートに無数に散りばめたもの。
一見ポップですが、シルエットが無数の亡骸にも見え、現代社会の不穏な空気感を滲ませています。
山本さんは、パンリアル美術協会の提唱した「社会の現実を反映させた知性」の共感を作品で提示したかった、と仰っていました。

現代では、異素材を使ったミクストメディア表現は当たり前のものになり、美大で日本画を学んだ後、立体造形やインスタレーションなどへ表現を展観していくアーティストも多数います。
表現の自由を獲得した一方、今なお「日本画」には「国号絵画」としての機能が期待され続けていることも事実です。
変わったものと変わらないものがある。この認識に立ち、現代作家が個々の表現を試みる関連企画展「77年後のリフレクション KYOTO 2026」が、京都・四条寺町の藤井大丸にて開催されています。

藤井大丸は、かつて1949年にパンリアル美術協会が第1回パンリアル展を開催した場所。このロケーションを踏まえ、「パンリアル展への77年後の応答」をテーマに、8名の作家が1・2週間ごとのリレー形式で展示を行うという企画になっています。

参加作家は「京都に縁のある」「日本画出身の」「パンリアル美術協会・パンリアル宣言に対して何かしら思い入れがある」ことを条件に選出されています。

なお、本企画は、参加者の一人でキュレーションも担当した山本雄教さんらが「日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970」展を受けた自主企画を行おうとしていたところ、京都市京セラ美術館の担当者、そして藤井大丸へ、という縁のつながりによって実現したといいます。
アーティストの自発的な動きが大きく拡がっていった点は、自らの手で新しいムーブメントを作ることを求めた、パンリアル美術協会の作家たちの姿にも重なります。

「日本画アヴァンギャルド」展から、そして「77年後のリフレクション」展へ。
戦後からそして現代へつながる改革の軌跡を、伝統と革新が交差する京都で体感できる、貴重な機会です。

展覧会開催は5/6(水・休)まで。
※会期中、一部作品に展示替があります。

展覧会情報

特別展 日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970

会場:京都市京セラ美術館
会期:2026/2/7~5/6
詳細はこちら

77年後のリフレクション KYOTO 2026

会場:藤井大丸7階 7gallery
会期:2026/2/6~5/6
詳細はこちら

最近の記事