今日はなんかライブが少ないので、最近はまっているハセケンさんの歌について思うことを書いてみました。

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【朝刊】9/6 京遊MUSIC NEWS PAPER!!!

スタッフ1号

スタッフ1号 (2010年9月 6日 08:26)

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週末は諸事情によりへろへろでした。土曜完徹、日曜も4時間睡眠なので、今最高にハイ!って奴です。

ハイ!なライヴを今日も紹介したい!


SOLE CAFE : ランチ営業
le club jazz :
Jazzmass K's Case : 通常営業
Greenwich House : LIVE
blue note kyoto : 未定
VOX hall : 京都工芸繊維大学軽音楽部-定期演奏会-
UrBANGUILD : 休業日
Live Spot RAG : レイニーウッド?LIVE 2010 Hard & Mellow?
Live house nano : 休業日
kyoto MOJO : SPIRAL-JAP PRESENTS 【ALL OR NOTHING Vol.38 ~TOUR FINAL~】
CLUB METRO : 休業日
都雅都雅 : 未定
磔磔 : 休み
拾得 : LIVE
夜想 : パブ営業
LAB.TRIBE :お休み
和音堂 : 定休日
cafe la siesta : 通常営業
世界 WORLD :お休み
きんせ旅館 :お休み

と、思ったら今日はまた異様にお休みが多いですね。
こんな日はおうちでたまった音源とか本とかゲームとかを消費するのもいいかも。

1号はここんとこハセケンさんの音源を聴きこんでます。曲を覚えて、歌えるようになってきた。
ハセケンさんが面白いのは、何度歌っても歌の意味がしっかりつかめないところなんですよね。
シンラのインタビューで

長谷川:「わけがわからない日本語」という意味では、井上陽水の歌詞も面白いと思います。一曲を通して歌詞は全て聴き取れない。つまり、聴いた人の中では聴き取れた限りの言葉だけでその曲が形成される。そういった余白があるものは好きです。聴いた人の数だけ、"空の色"があればいいなと思います。 『震える牙、震える水』長谷川健一 インタビュー :CINRA.NETより引用

というようなことを仰ってて、なるほどなぁと思ったり。

仰るところの「余白」にあたるのかどうかはわかりませんが、1号はハセケンさんの歌に「人類が滅亡した世界で、生き残った誰かが過去を思い出して歌っている」というようなイメージを勝手に持っています。それでも孤独感に溢れるのじゃなく、むしろ「あたたかい」と感じるのは、ハセケンさんの歌を聴くことで「聴いている自分」が実感されるからじゃないかなと思うんですよね。音楽を聴いているうちは音楽のほうが主役だから、あんまり「自分」を実感することってないんですけども。

ハセケンさんの歌は不思議です。たとえば海に似ているかもしれない。海は自分を肯定することもしないけど、否定することもしない。でもずっと眺めているうちに自分の中で考えていることが整理されて、なんだか受容されたような気になる。海は別に私に対して何をしたわけでもないけど、そのときはなぜか「海によって受容された」という気分がある。

普通、人が作った歌を聴くということは、多少なりとも他人のエゴを受け入れる行為だと思うのですよ。そのオピニオンを「いい」と支持する場合は耳に心地よくて、そうでないものはノイズに聴こえる。もちろんハセケンさんだってハセケンさんの思いあって曲を歌っているのだろうけど、どんな歌にも少なからずあるはずの「聴かされている」という押し付けがましさが、まったくない。むしろ話を聴いてもらっているような気になって、気づけばなんだか気持ちの整理がついている。それが海のようだな、と思うのです。

結びついているような、結びついていないような、距離感。なんだかもっと「おはなし」してみたいな、と思ってしまいます。

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