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【内覧会レポート】NHK大河ドラマ特別展「八重の桜」(京都文化博物館)

2013/07/18

2013年度のNHK大河ドラマとして現在放送中の「八重の桜」。会津に生まれ、幕末から明治、そして大正、昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女性・新島八重の生涯を描いています。
その連動企画展が7月13日~9月1日までの日程で京都で開催されます!

今回の企画は、東京(江戸東京博物館)と福島(福島県立博物館)、そして京都(京都府立博物館)の学芸員さんを中心とした合同チームで行われたのだそうです。
八重さん自身がもともと誰もが知る有名な人、というわけではなかったこともあり、まずは資料探しや整理から準備が始められたのだとか。そのため、展示品は約180点あるのですが、展示前の調査で初めて見つかったものや初めて一般に資料として展示されるものがほとんどだそうです。

また、福島や東北の資料館の所蔵品は、これまでは現地以外で目にする機会はなかったのではないでしょうか。実際、地方の歴史資料はほとんど館外貸出されることが少ないそうです。福島の学芸員さんたちも「ぜひこの機会に見て欲しいです」と仰っていました。
普段は各地に散在している品がこの展覧会のためにまとめて展示される、それだけでもとても貴重な機会といえます。

yaenosakura201307 (3).jpgまずは入口にどどん!と大きな鶴ヶ城(会津若松城)の写真が!
これは八重さん自身が持っていたもので、元は小さな名刺サイズの写真を高さ3m、幅5mという大きさに超高精細画像で引き伸ばしています。

この写真は戊辰戦争で新政府軍から攻められ落城した時の鶴ヶ城の姿を収めたもの。「幕末のジャンヌ・ダルク」の異名で知られるように、八重さんも銃を取ってここに篭城していました。
新政府軍の砲撃を受け続けた鶴ヶ城は、形がゆがみ、屋根は今にも崩れ落ちそうというボロボロの状態です。
いわば、八重さんの人生を大きく変えた"戦争""会津の敗戦"の象徴です。

展覧会はここからスタートし、復興していく流れを八重さんの生涯を軸に、幕末の京都、会津戦争、そして明治の京都、晩年の八重さんと会津の人々...と時系列に沿って追っていく形となっています。

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最初のコーナーでは、会津藩とはどんなところかがよく分かる、会津の教えに関する品が紹介されています。
昔から会津は徳川将軍家との結びつきが強く、幕府に大変忠義の厚い地域でした。会津松平家に代々伝わる家訓(と書いてかきんと読む)や、武家の子どもたちの教科書だった「日新館童子訓」など、会津の質実剛健な教育方針がわかる資料が多く並んでいます。

難しい資料も今回は一点ごとに詳しく分かりやすい解説パネルがついています。達筆過ぎて読めないことの多い古文書も丁寧な書き下し(現代語訳)が添えられているので、歴史が苦手!な方でも安心です。

yaenosakura201307 (7).jpg展示品の中には、ドラマを見ていた方は思わず「おおっ!」と声をあげてしまいそうな品もあります。
例えば、この錦の布にくるまれた棒状のものと横の文書。これは会津藩主・松平容保が京都守護職に任ぜられて孝明天皇に挨拶に伺った際に贈られた宸翰(しんかん/天皇からの文書)と和歌です。
ドラマでは綾野剛さん演じる容保公が市川染五郎さん演じる天皇から贈られ、感涙していたシーンが印象的でした。
普段はまず一般に公開はされない秘蔵の品ですが、今回特別に出展されています。ドラマで登場したものの実物が見られるのは、この展覧会ならではです。

yaenosakura201307 (11).jpgまた、会場の京都文化博物館の下から見つかったという、蛤御門の変で焼けた瓦も面白い一品でした。自分の今いるところが歴史の舞台になっていたことを実感する資料です。京都ならではの体験かもしれませんね。

yaenosakura201307 (10).jpg新政府軍が掲げていたという赤い錦の御旗は京都だけの展示品です。
これを攻めてくる新政府軍が掲げたのを見たとき、朝敵扱いされたと知った会津の人々のショックは、どれほどだったことでしょう...

yaenosakura201307 (14).jpgこちらも珍しい一品。会津のピンチを救おうと、東北の諸藩が組んだ同盟(奥羽越列藩同盟)
の旗です。現存するのはこれを含めて2枚だけという貴重品です!

他にも、会津戦争が終わりに容保公が降伏の手続きを行った際、敷かれていた毛氈もありました。その名も「泣血氈」...会津の人々の悲しみと口惜しさが伝わってくるようです。藩士たちはこれを切り分けて手元に持っていたそうで、元の大きさよりはずいぶん小さくなっているとか。

幕末に関する展示は新撰組関連か、もしくは新政府側(坂本龍馬や西郷隆盛...などなど)から見たものは多かったですが、逆に攻められた会津側 から見た展示は、全国規模では今まであまり例がなかったように思います。普段と違う切り口から見ると、とても新鮮な印象を受けました。

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会津の敗戦後、八重さんは兄・山本覚馬を頼って京都へ移ります。
八重さんは京都に来てからも、会津の風景を撮影した写真を幾つか手元に大事においていました。冒頭の鶴ヶ城の写真のほか、磐梯山など地元の人ならどこがどこかすぐわかる名所ばかりだそう。裏面には八重さんの直筆で撮影地も記されていたそう。彼女は生涯故郷を大切にしていたのです。



また、明治以降の展示も面白いです。近代の京都は新しいことをどんどん取り入れて発展していくのですが、そこで活躍したのが八重の兄・山本覚馬です。資料の多さに、どれだけのことに覚馬が京都で関わったかがわかり、驚かされます。中には覚馬著の海外向け京都観光案内も!


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もちろん、八重さんと新島襄の生活に関する資料も多数あります。
こちらは新島襄が実際に着ていた服!現代でも通用するくらい、大変シャレたデザインです。10年もアメリカで過ごしていた襄はまさに西洋的なジェントルマン。自分の意見をはっきりもっている女性がいい、としていた彼にとって、勝気で自分の意思をきちんと主張するタイプの八重さんはまさに理想の女性でした。

中でも注目したいのがこちら。

yaenosakura201307 (18).jpgこれは襄が旅先から八重さんに送った手紙です。なんと巻物形式で全長2m以上もあります!そこにびっしりと文章が書かれている状態。それだけ伝えたいことが多かったのでしょう。

また、今回目玉展示の一つとして、八重さんと襄の暮らした「新島旧邸」の一部屋が家具も全てそのまま原寸大で再現されています。まだちょん髷の人も多くいた、明治になったばかりの頃とは思えないハイカラっぷり。現地では見学できない2階の映像も放映されていますよ。
→ 新島旧邸の現地の様子はこちら(京都ミュージアム紀行「新島旧邸」)

襄の没後の八重さんに関する資料も多数紹介されています。
襄に先立たれた後も、八重さんは終生何かに挑戦し、活発に行動していました。

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こちらは晩年に八重さんが挑戦した茶道との関わりを示す一品。彼女が実際に使っていたもので、現在は同志社の茶道部の学生さんたちに受け継がれ、今も現役なのだとか!
八重さんは裏千家に入門するのですが、めきめきと腕を上げ、短期間で師範代の資格を得てしまいました。彼女は女学生たちを対象に茶道教室を開くなどして、お茶の普及に努めたのだとか。当時茶道は「男のたしなみ」のように扱われていたそうで、現代のように女性が積極的にお茶をやるようになったきっかけを作ったのは八重さんだったといいます。

展覧会の最後は、スタート時と同じく大きな写真で締めくくられています。これも八重さんが大事にしていた写真で、撮影場所はかつて会津藩が京都での拠点としていた金戒光明寺。昭和の時代に入り、八重さんと会津の人々が集い撮影したものです。
展覧会を最後まで見ると、胸にじんわりとくるものがありました。ぜひこれは、会場で実物をご覧頂きたいです。


番組を先に見ていれば分かりやすいですし、あの話かー!と感慨深いところがたくさんあります。でも見ていない方でも十分、新鮮な発見がいろいろ見つかる展覧会だと思います。
開催は9月1日まで!展示室も広めでゆったりと鑑賞できます。涼みがてら、足を運んでみてはいかがでしょうか。

yaenosakura201307 (21).jpgなお、グッズもとても気合が入っていますよ!
企画担当の学芸員さんのお勧めは「ジンジャークッキー」。
八重さんがお客さん用のお菓子としてジンジャーブレッドを焼いた際、大変な甘党である襄につまみ食いをされてはいけないと鍵付きの戸棚にしまっておきました。しかし襄は、八重さんが出かけた隙を見計らい、鍵を外して中のお菓子を食べてしまいました。このエピソードから発想を経て制作されたものです。
また、福島県の若手作家さんが手がけた、かわいい起き上がりこぼしも注目です。
こちらは襄と八重さんの夫婦、そして兄・覚馬の3種があります。

他にも会津の名産品や、福島名物のあかべこなども!お帰りの際はショップも覗いてみてください。

■ 展覧会の詳細はこちら!
2013年NHK大河ドラマ 特別展 八重の桜
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