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【レポート(番外編)】京都の天文世界を歩いてきました。(京都千年天文学街道ツアー・7/3)

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tenmon0.jpg京都の町のあちこちには過去の歴史や文化を今に伝える史跡や寺社などのスポットが点在しており、それを巡る町歩きツアーなども数多く開催されています。
今回、スタッフはなかでもちょっと変わった切口の町歩きツアーに参加してきました!

「京都千年天文学街道ツアー」というこの町歩きツアー。千年の都・京都の歴史と天文学を絡めて関連スポットを巡るという、ユニークなテーマのツアーです。
京都と天文学??と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、実は両者はかなり関わりが深いんです。
国の行事などを執り行う上で暦、要するにカレンダーを作ることは政治的にもとても大切なことでした。そのためかつて朝廷にも幕府にも「陰陽寮」「天文方」という専門の天文学や暦の専門機関が存在し、日々天体観測を行っていました。また、映画や小説などでもお馴染みの陰陽師・安倍晴明も、本来の役割は暦作りや天体観測が仕事の天文学者。呪術や祈祷などはその仕事の一環として行っていたものです(それがクローズアップされてまるで魔法使いのように思われていますが...)

今回は「明月記」コースとして、星にかかわりのあるスポット・安倍晴明を祀る晴明神社から、京都に唯一残る公家屋敷・冷泉家まで歩きました。

晴明神社

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スタート地点の晴明神社。元々は安倍晴明が暮らした屋敷があったところで、彼が亡くなった後に彼の最後の上司(晴明は当時としてはとて長命で85歳まで生き、6代の天皇に仕えました)一条天皇の命で神社が建てられました。

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ちょうど境内の桔梗が見ごろ。星型の可愛い花があちこちに咲いていました。

今はとてもこじんまりとした神社ですが、昔はかなりの広さだったとか。しかし豊臣秀吉が京都の町を大規模に再整備や度重なる火災もあって一気に敷地が減ってしまったそうです。(現在の京都の町は、ほとんどが秀吉の再整備後が基盤になっています)

実はこのあたりまでは秀吉が立てた「聚楽第」の敷地になっており、かつてはあの茶道の大成者・千利休がここで暮らしていたのだそう(石碑も神社の入口にあります)。

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境内の隅に神社のシンボル・五芳星をデザインした「晴明井戸」があります。利休が屋敷でお茶事をする際につかった水も、ここのものといわれているとか。
ちなみに取水口はその年の恵方をさしていて、水も飲めます。何だかご利益がありそうです。

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境内には小さな橋もあります。
これ、あの有名な「一条戻り橋」。あの世とこの世をつなぐとか、死んだ人が生き返ったとか、妖怪が出たとか、そんな伝承がいろいろ伝わっている橋です。
平成7年に橋が架け替えられてしまったのですが、安倍晴明にもゆかりがある場所ということで、古い橋の一部をこちらに移築したのだそうです。ちなみにこちらは大正時代のものだとか。

一条戻り橋


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神社を出て、すぐ近くにある現在の一条戻り橋へ。今はコンクリートのモダンな橋になっています...。
ちょうどここは、昔洛中と洛外、京都の街の境目だったところだったので、ちょっとオカルトチックな言い伝えが沢山残されたようです。また、千利休が切腹した後に、首が晒されたのもここだったとか...
橋の下(堀川)は綺麗に整備されて今では公園。子供たちが水遊びをしていました。怖い雰囲気はどこへやら、とてものどかな休日の風景でした。

京都御苑

その後京都御苑まで歩き、ひとやすみ。
ちなみにここはかつて近衛家のお屋敷があったあたり。春は桜の名所として人気がある場所です。
もっと昔は、あの藤原道長の屋敷があったのだそうです。

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ここでツアーの提案者であり、京大で天文学の研究を行っている小山勝二先生が京都の人と天文学の関わりをレクチャーしてくれました。(ipodやipadを使用!)

当 時の人々は天体の動きは神様からのメッセージで、何か妙なことがあればそれは警告にあたると考えられていました。そのため、毎日天体を観測し、状況を記 録・報告することは天文学者である陰陽師の大切な役割でした。また、専門家ではない人も空がいつもと違っているとこれはいったいどういうことかと陰陽師に 質問したり、自分の日記に書き残したりもしていたそうです。

その代表的なものが、百人一首の選定者として知られる、藤原定家の日記「明月記」。
定家はとんでもない筆まめで18歳から74歳までずっと日記をつけていました。
その中で彼は天体の現象についてもしばしば日記に書いていたというのです。

小山先生は特に超新星爆発(とても重い星が死を迎える際に、かたちを保てなくなり最後は爆発してしまう現象)についての研究をされているそうなのですが、この超新星爆発についての記録が定家
の日記には三回も登場するのだそう。
超新星は大爆発によって一夜にしてものすごい明るさになり、まるで空に新しい星が突然出現したように見えます。定家はいきなり夜空に明るい星が現れたので驚き、これを陰陽師(安倍家)に質問し、過去の事例などを調べてもらい、その回答を日記に記録していました。
当時の超新星の記録は世界的に見てもたった7件。そのうち3件が、日本できちんと記録されていたのですから、当時の人々の文化レベルの高さが伺えます。
現在では記録から、どこの星のことをさしているかも解明されており、記録の正しさも証明されているそうです。

冷泉家


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最後にその定家の子孫にあたる冷泉家の前へ。(ここは普段は一般公開されていません。春・秋の特別公開のときだけオープンします)

門には陰陽道の宇宙観にも欠かせない、東西南北を示す四神のひとつ・玄武が狛犬のように鎮座していました。

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ちょうど冷泉家は御所の北側に位置しているのですが、そこにも関係しているようです。
京都の町は中国の都をお手本にして作られたのですが、その際にきちんと四隅を東西南北に揃え、中国の四神信仰に倣っています。かつて南北を貫く中央の大通りが「朱雀大路」と呼ばれたのもそのため。現在も昔の人々の宇宙観が京都には息づいていることを伝えてくれています。

普段京都の町をなんとなくあるいていると見逃しがちですが、ガイドをしていただきながら回ってみると、また違った京都の表情を見られたような気がしました。
ぜひ、京都にお住まいの方も、これからいらっしゃる方も、こういう町歩きツアーに参加してみるのはいかがでしょうか?
京都の町がまた違った姿で見えてくるかもしれませんよ?


★今回のツアーに関してはこちらから!
 「京都千年天文学街道ツアー事務局」:http://www,tenmon.org/tour/

★ 京都の宇宙観・陰陽師関連では「大将軍八神社」も有名!
  「京都宝物館探訪記」もぜひご一読ください♪
京都宝物館探訪記 「陰陽師ゆかりの宝物・大将軍八神社」

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