Report&Reviewレポート・レビュー

【投稿レポート】小坂 大毅 展 「 Proto 」(アートスペース虹)

2011/01/28

実際の展覧会の様子をご紹介している展覧会レポート。
今回はライターのdenさんに、こちらの展覧会の感想レポートをお寄せいただきました!
どうもありがとうございます!

小坂大毅展 "Proto"アートスペース虹
(2011/1/3-1/23)

死者の未来を託す"用"を成さない造形...

flyer_daiki-kobayashi.jpg © Daiki Kosaka
中国では古代より人間の魂は永遠であり、
亡くなった後も現実世界としっかり繋がっているという
輪廻転生をモットーとする日本人から見ると妙に生臭い死後観がある。

中国人の死後観が顕著に表れる例として
香港の葬儀の様子はしばしば紹介される。
あの紙製の供物のこと。
火葬の際に一緒に燃やすものだが、
その極彩色のキットはお札、マンション、家、車、飛行機やらで
最近では携帯電話やパソコンまであるという。
決定的に日本と違うのは逝った人にあの世で金持ちになって欲しいという感覚、
いや価値観と言ってもよい。

墓に納められた「俑」(よう)、特に兵馬俑などは有名だが
なんと新石器時代からこのような副葬品が作られていたという。
これを明器(めいき)と呼び、先の兵馬俑のような
人、動物、建物、飲食器などをかたどった
陶製、木製、青銅製で作られた。

これは香港で見受けられる中国人の葬儀と全く同じ意味を成す。
死者が生前に必要としたもの、あるいはあの世で必要となるものを
亡くなった後でも使えるようにしたものだ。
漢時代には特に陶磁器の明器が作られた。

小坂さんはこの副葬品をテーマに制作する。
一緒に供えることにしか意味性を求めない造形。
器物として何ら機能しない、いや機能うんぬんよりも
より深い意義をそこに込めていると言ってもよいと思う。

焼物の逸品に沢庵をのせて日常使いにする人は滅多にいない。
いつしか焼物は"景色"としてその芸術性をいかんなく発揮する。
陶芸は当初は生活器のために編み出された手段なのに
思えばその地位は限りなく上昇し、
ケースに納まった鑑賞物として鎮座まします、
高価なオブジェになりつつある。

しかし、それもこれも熟練の技と作家の器量あっての
当然な、そして尊大な付加価値の賜物だ。
意味性の剥奪という共通項が明器と現代の器物を
時代を越えて通じ合うという解釈は面白い。
単純な発想だがどちらにもそれなりの意味があり、
それこそが現代美術として陶芸を捉えるうえで
出(い)ずる着想ではないかと思う。

壺のような、瓶(かめ)のようなそのフォルムは
表面の表情と相まって本金を施した口、
内部に塗られた鮮やかな朱色が象徴的に中国をイメージさせる。
整然と配置されたそれらの中央に草を食む馬がいる。
これは兵馬俑のシンボルとして置かれたもの。
艶やかな表面に互いが映り込み、腰をかがめて見ると
また面白いシチュエーションが現れる。

一番奥に配置されたものは派手に欠けている。
これは搬入時に落として割れたもので、
その時もし、居合わせたならさぞ居心地が悪かったに違いない状況を
想像させる痕跡は不思議と何もない。
むしろ割れたことで得た効果を喜ぶべきだろう。
このことで整然としたレイアウトにドラマが生まれたと考えよう。
それも現代美術を観る愉しさではないか。


文責:den 編集:京都で遊ぼうART


小坂大毅展「Proto」は、今週末1月30日(日)までの開催です。
まだ大学を卒業したばかりの若手作家の小坂さんですが、そこで「副葬品」がテーマとは!
普通の陶芸、焼物とは違うニュアンスを秘めた、ユニークな内容になっているようです。
気になった方はお早めに足をお運び下さい!

denさん、素敵な文章をありがとうございました!

★「京都で遊ぼうART」に参加してみませんか?
京都で遊ぼうARTでは展覧会や施設の感想や、京都のアート情報の紹介を随時募集しています。
展覧会や施設に行ってみた方、生の感想を是非お寄せ下さい!
また、アートイベントや展覧会の開催情報など、アーティストさんや主催者さんなどからの掲載依頼も随時受け付け中です!

ボランティアライターに関する詳細はこちら
お問合せについてはこちら

関連リンク

小坂大毅展「Proto」
アートスペース虹

denさんのブログ「シッタカブリアンの午睡」

最近の記事