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仲條正義氏×美術史家の山下裕二氏 対談@京都dddギャラリー

投稿:2017年5月29日

lico201705 (1).jpegお友だちに教えて頂き、『仲條正義 IN & OUT,あるいは飲&嘔吐』@京都dddギャラリーの仲條正義氏×美術史家の山下裕二氏 対談 に参加してきました。

会場は若い方が多くて、またいかにもデザイン関係のお仕事をされているなぁという方も多くおみえで、大盛況でした。私が知らないだけで「仲條正義氏」はグラフィックデザイナー界では重鎮中の重鎮なのですね。参加者のほとんどは、もちろん仲條正義さんがお目当てですが、私のお目当ては愛読書”日本美術応援団”の山下裕二先生でした。今回参加して「グラフィックデザイナー仲條正義」を初めて知ったような次第です。会場に着くまでに、HPのプロフィールにも目を通していなかった…(ハズ&反省)

仲條さんの著書『仲條正義の仕事と周辺』から生い立ちからこれまでの仕事を紹介しつつ山下先生が質問する形式で行われました。山下先生が、お話の持っていきかたがとても上手なので、楽しくて聞き入ってしまいました。
御年84歳の仲條さんですが、外見も、感覚もお若くて、ユーモアがあってペーソスも効いていました。実は仲條さんの誕生の地が現在の山下先生の現在お住いのお近くらしく、ご近所話でも盛り上がりました。そうしてお二人は銀座で飲んでいることも判明しました。

lico201705 (2).jpeg仲條さんが幼き頃の東京は大正デモクラシーがまだ息づいていてリベラルな街だったそうです。千葉へ疎開され、そこで旧制中学から新制高校を体験されます。お父様は大工さんだったらしい。高校では美術部に所属され、誰もが油絵科志望の中で、浪人はできないと大学は東京芸術大学の図案科に現役で入学されます。「東京美術学校」から「東京芸術大学」になったばかりで、4期生だそうです。「絵」の原体験は「カッサンドルの機関車のポスター」やはり、ポスターだったのですね。流石です。 

在学中の1954年に日宣美奨励賞を受賞されます。「文字が入らないとただの絵になってしまう」ということで、なんと!ロゴは亀倉雄策さんのを使ちゃってたみたいで、なんと寛大な時代でしょう。1956年に資生堂宣伝部に入社されました。当時「デザインをやってます」といえば服飾のデザインをイメージだったで、「宣伝・広報」ということとは結び付かなかったそうです。そんな資生堂も3年ほどで辞め、「デスカ」を経て、デザイン事務所を設立し独立されました。

lico201705 (3).jpg仲條さんと言えば資生堂の「花椿」だそうです。「花椿」の企画で当時は新進の美術史家山下先生を仲條さんがご指名されたのがきっかけで。連載は5年ほど続いたそうです。最初に紹介された「花椿」の写真が「サザエ堂」と「グッケンハイム美術館」共に螺旋を描きながら上に登る構造になっています。
この二つを取り上げる目新しさに注目というところでしょうか。曾我蕭白の素足の女とハイヒールの現在女性、土偶とガングロ少女など組み合わせの面白さが引き立ちます。

山下先生は、連載中の原稿の文字数は263字とおっしゃっていました。制約の中で書く。この文字数でどれだけの事を伝えられるか。山下先生のお話にはいつも「制約」という言葉がよく出てきます。何かに制約された中からこそ生まれ出るものがあると。なにも制限のないところから生まれてきた芸術作品にはちょっと手厳しい批判もおありの様だと私は受け取っています。対談では、「抽象」は美術の解体、「前衛」に対してはちょっと否定的で「つまらない」とも、つまり先に書いた「制約」がなさすぎるところから生まれてきているということでしょうか。

lico201705 (4).jpeg「グラフィックデザイナー」という言葉に対して、仲條さんがぽつんと「もっといい日本語はないものか。」と。ここまで続けてこられてもご自身でどうもぴんと来ていない感じなのでしょう。それを受けて山下先生が「アート」という言葉もしかり。「アート」なんぞと一般に使い始めたのは80年代からだと。「Contemporary art」=「現代アート」と言い出したくらいかららしいです。「美術」でもなく「芸術」でもなくもっとしっくりくる日本語はないものだろうかと。まったくもって私も同じように感じていて、“いまふうに”「アート」と使っているけれど、どうも違和感が否めない気がしていました。この言葉のお話が今回の対談で一番強く心に残りました。が、解決の道はなさそうです。ある種の流行り言葉としてではなく、地に足のつた言葉があるといいなと。しかしながら「アート」という言葉と共に歩み始めた若い世代には、こちらの方がなじみやすいのかもしれません。
京都との繋がりと言えば、細見美術館のポスター(ちらし)は今も仲條さんのデザインらしく、初めて知りました。仲條さんのデザインから細見美を知ったという方もいらっしゃるかもしれません。細見美術館の館長さんとはお二人ともに親交が深いのに、花椿以前はお知り合いではなかったらしく、余談に細見美の初代の豪快な古美術購入のお話もありました。ちょっと成金趣味な収集のような。
お二人のお話は、関西の横尾さんや田中一光さんが、東京に出ていらした当時の仲條さんのお気持ちなどにも及び、仲條さんの中には複雑な感情もあったのではと感じました。ご自分では語りにくいからか、山下先生が「田中一光」的な日本美術に対するシンパシーとはま反対、仲條さんはもっと「生々しいもの」ソフィスケイトしたものでない作品とお話しされたように思います。
今回の対談に参加して私の全く知らない分野のお話をとても興味深く拝聴しました。グラフィック界の大御所のお名前が次々と飛び交う対談に、この業界の方々にとっては、更に興味深かったかもしれません。
最後に仲條さんから参加されている若い方に向けたメッセージとして、「自分の目と手を動かせ!」というものでした。PCのマウスで作り出すのではなく・・・ということなのでしょうか。自分の目と手を信じろ!ということなのでしょうか。
 



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