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京都MUSEUM紀行。第二十四回【二條陣屋】

京都ミュージアム紀行 Vol.24 二條陣屋

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「二條陣屋」をご存知でしょうか?

二条城から少し西側、神泉苑に程近い場所にある、江戸時代に建てられた豪商の邸宅です。その立地の良さからかつては武家のための宿泊施設としても利用され、趣向を凝らした意匠や独特の建築が現在まで保たれています。今回はそんな江戸時代の京都を垣間見られるスポット・二條陣屋の魅力をご紹介します。

商家と武家、2つの顔を持つ特別な住宅

「二條陣屋」の建物が建てられたのは、今から約340年前の寛文年間(1661~73年)。それからずっと、建物を所有する小川家の人々が代々屋敷を守り続けてきました。
資料によれば、18世紀にはこの屋敷で小川家の萬屋平右衛門(よろずやへいえもん)という商人が、この屋敷で米両替商を営んでいたそうです。米両替商とは、当時、武士の給料として現物支給されていた米を貨幣と交換したり、金貨や銀貨を一般の店で使いやすい銅銭に交換し、交換レートをコントロールすることで手数料を得る仕事でした。いわば現在の銀行業。今で言う官庁舎であった二条城の傍、という立地を生かした仕事ともいえます。


玄関前の庭には、小銭をあしらった掛看板が残っています。

一方で平右衛門は、公事師としての顔も持っていました。公事とは現在でいう民事裁判にあたり、公事師はその際に必要な書面の制作を代行したり諸手続きを行う、現在の司法書士や弁護士のような仕事でした。これも、当時近くに京都所司代や京都奉行所があったことを生かした仕事でした。
公事は現在の裁判同様すぐに終わるものではなく、ときには長期間に及ぶことがありました。その際、京都に藩邸がある藩の関係者であればそこに宿泊すれば良いのですが、財力などの問題からそれが難しい大名や武士も多くいました。また、参勤交代などで大名たちが通る街道には専用の宿泊施設「本陣」が設置されていましたが、京都にはそれがありませんでした。そこで平右衛門は、自前で宿泊場所が用意できない大名や武士たちのために、自分の屋敷を宿泊施設として提供するようにしました。これが「二條陣屋」のはじまりです。


のれんの九曜文は小川家の家紋。横に「陣屋」と書かれた表札が見えます。
(※こちらは出入り口ではありません)

その後、身分の高い人を泊められるように部屋や設備の増改築が随時行われ、現在の建物の形となっていきました。そのため「二條陣屋」は、もともとの商家としてのかたちと武家が宿泊する武家屋敷のかたちが共存した、他にない独特の構造の建物となっています。
※陣屋とは一般に3万石以下の城を持たない大名や武士を対象にした住居と役所を兼ねた建物を指す。「二條陣屋」は一般公開にあたって名付けられた名称。

《小川家》

「二條陣屋」を所有している小川家は、墓碑や門前の看板には「豊臣秀吉の家臣・小川祐忠(すけただ)」が先祖で、関ヶ原の戦いの後所領を失ったため、長男が商人「萬屋平右衛門」となった、と記されています。しかし、残念ながら文書などの確たる証拠はないそうです。これとは別に、小川家自体が元々奈良・吉野にルーツのある家で、古くから吉野が薬草の産地であったことから、薬商人として京都に移り住んだ、という説もあります。実際、屋敷内には先祖ゆかりの地である奈良を思わせる部屋や、奈良の氏神である春日大社の分社、そして薬屋時代の看板が残されており、こちらの方が物的証拠面から信憑性は高いとのこと。しかし、こちらもまだ不明な点が多いため、今後の調査が待たれます。


屋敷に残された薬屋時代の看板。商品名と平右衛門の名が見えます。

お客様をもてなし守る―こだわりの空間と仕掛け

「二條陣屋」の建物は2階建て。内部には宿泊用の部屋のほか、広間や複数の茶室、そして武者隠しや緊急時用の隠し部屋、火事が多かった京都ならではの防災設備など、通常の町家では見られないさまざまな設備が設けられています。

《玄関》

「二條陣屋」の重厚な門は、普通の商家ではなく、むしろ武家屋敷を思わせます。玄関や前庭の周辺には広々としたスペースが設けられていますが、これは籠を入れられるようにした工夫。大名などある程度の身分以上の武士は籠で移動することが多かったことを考慮してのつくりです。通常の京都の町家とは異なる特徴といえるでしょう。 玄関に入ると見学者の待機スペースとして使われている広い部屋(店の間)が現れますが、ここは商家としてのつくりを思わせます。


店の間では唐窓から前庭の景色が見えます。

《室内》

建物の内部はまるで迷路のように入り組んだ構造になっています。これは刺客に襲われるなどした際に、敵に見つからずに逃げられるようにという工夫。また、廊下も一人通るのがギリギリなほど細めに作られていますが、これも武器を室内で振り回せないようにするため。非常にセキュリティに気を使っていたことが伺えます。これは、公事のために宿泊していた武士のなかには、敵対する相手から襲撃されるのではと身の危険を感じていた人もいたため、それに配慮したものでした。万一の時は客が安全に逃げることができるような建築構造は独特のもので、これも二條陣屋の大きな特徴となっています。


廊下の襖下部(腰絵)には松林の広がる水墨画が。こちらは江戸後期に活躍した円山派の絵師・長沢盧鳳(ながさわろほう)の作品。


・大広間

長い廊下を進んだ先にあるのが、二條陣屋で最も広い部屋である「大広間」。二條陣屋に滞在した大名はこの部屋を宿泊場所とし、他の武士との謁見や日々の仕事、食事や就寝も全てここで行っていました。構造は大名が使う部屋にふさわしく、武家屋敷風の書院造。外へ続く障子を開ければ、眼前に庭の景色が広がります。花の形の釘隠(九谷焼製)や透かし彫りの欄間、螺鈿象嵌の施された天袋など、随所に細かな意匠が施されている点も特徴です。


陶製の釘隠。九谷焼の特徴である赤絵で染付されています。

もちろんセキュリティ対策もあり、外へ通じる扉は当時珍しい鍵つきとなっているほか、天井裏には来客時の見張りが隠れる部屋・武者隠(むしゃかくし)が備えられています。格天井の一部が開く構造となっており、緊急時にはここから大広間へと降りることも可能。また、来客側からは警戒されないよう明り採り用の天窓に見えるようになっています。このあたりはまさに武家屋敷を思わせる構造です。


天井上の武者隠し。下から覗くと窓だけが見えます。

・能の間


大広間の隣にある能の間。普段は大名にお供してきた家来たちの控え室として使われていましたが、部屋の名の通り、能舞台としても使える構造になっています。大広間との間の襖を開け放てば、大広間を客席代わりに能楽が楽しめるというわけです。
部屋正面の襖は段襖で、板戸が上げ下げできるつくりになっています。能舞台として使う際には板戸で障子部分を塞いで、能舞台の正面を向く段襖(だんぶすま)に変化させることができます。床下は真ん中を掘り下げて漆喰で塗り固め、四つの甕(かめ)を置くことで音響効果も高められています。時には何月も同じ部屋に滞在しなければならない大名たちのために、このような娯楽のための施設も整えられていたのです。鶴を描いた襖の向こうには、能装束をかけておいたり着替えたりできるスペースもありますが、この空間は非常口の役割も兼ねていたそうです。

»NEXT『お客様をもてなし守る―こだわりの空間と仕掛け 後編』へ

二條陣屋

所在地

〒604-8316
京都市中京区三坊大宮町137

開館時間

10:00~/11:00~/14:00~/15:00~
※1日4回案内(各回約50分)
※定員各回10名(最大20名)

※英語パンフレット有り
(There are English brochure.)

休館日

水曜日(祝日を除く)、年末年始(12月28日~1月3日)

お問い合わせ

電話番号:075-841-0972(受付時間 10:00~18:00)

公式サイト

http://nijyojinya.net/

English page

If you can't understand Japanese, please look at this page.

http://kyoto-tg.blogspot.jp/2015/11/the-nijo-jinya.html

■料金

大人:1,000円
高校生:800円
※ 見学は高校生以上の方のみ
※ 原則として要予約(受付は電話のみ/予約・キャンセルは前日まで受付)

■交通のご案内

【京都市営地下鉄】
*東西線「二条城前」駅下車、3番出口より徒歩3分
【京都市バス】
*15号系統にて「神仙苑前」下車、徒歩2分
*9、12、50、67、101号系統にて「堀川御池」下車、徒歩5分
【JR】
*「二条」駅下車、東へ徒歩15分
【阪急電車】
*「大宮」駅下車、北へ徒歩15分




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