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【レポート】〈若きポーランド〉― 色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)

2025/05/07

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東欧の国、ポーランドは、18世紀末の1795年にはロシア・プロイセン・オーストリアによって分割占領(ポーランド分割)され、第一次世界大戦が終結する1918年までの123年間にわたり独立を失っていました。その末期にあたる1890年~1918年の約30年間を中心に活躍した作家たちは〈若きポーランド〉と呼ばれる芸術運動を展開。当時最先端の表現だった印象派や日本美術などの影響を受けながら、ポーランドの伝統文化、風景、歴史、人物といったモチーフを、象徴的かつ色彩豊かに描きました。

そんな〈若きポーランド〉の芸術に注目した、日本初の展覧会が京都国立近代美術館で開催されています。そもそもポーランドの美術を本格的に紹介する展覧会もこれが日本では初の機会。展示品の9割が日本初公開という内容です。今回はその様子をご紹介します。

〈若きポーランド〉前史

独立を失っていたポーランドにおける文化の中心地となったのが、ワルシャワ以前に都がおかれていたクラクフでした。当時、クラクフを統治していたオーストリアは、多民族国家であったこともありポーランド語での会話や文化芸術表現については寛容な姿勢をとっていました。そのため多くの志あるポーランドの芸術家たちはクラクフに集ったのです。

しかし、独立を公の場所で声高に叫ぶのが難しい情勢に変わりはありません。
そこで芸術家たちはポーランドの自由や独立への想いを芸術作品に込める形で暗喩的に表現するようになっていきました。この、直接的にならないように思想や意味を込める象徴主義的な表現が、ポーランド芸術の特徴のひとつなのだそうです。

展覧会の冒頭の主役は、19世紀後半に活躍した「ポーランドで最も有名な画家」であり、〈若きポーランド〉を育てたヤン・マテイコ。クラクフ美術学校の校長でもあった彼は、ギリシャ神話やポーランドの歴史や有名人、伝説などをテーマにしたスケールの大きな作品を描き、名声を博しました。

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〈若きポーランド〉―色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
ヤン・マテイコ《〈スタンチク〉草稿》1861年 ワルシャワ国立博物館

《スタンチク》は、ポーランドではお馴染みの宮廷道化師スタンチクを描いた作品。道化師らしからぬ眉間にしわを寄せた厳しい表情が印象的です。
これは史実(17世紀)で敵の軍勢が国の重要拠点を陥落させ、都へ迫ってきている報せを聞いたスタンチクが、危機感なく宴に興じ続ける貴族たちの姿に失望し憤慨している場面なのだそう。当時のポーランドの置かれた状況に対する想いを象徴的に示した作品といえます。

祖国への想いを込めてポーランドらしい題材を積極的に取り上げたマテイコの姿勢は数多くの教え子たちに受け継がれ、〈若きポーランド〉の活動へと繋がっていきます。

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〈若きポーランド〉―色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
ヤツェク・マルチェフスキ《画家の霊感》1897年 クラクフ国立博物館

その一人が〈若きポーランド〉の代表的な画家・ヤツェク・マルチェフスキ。マテイコの教え子だった彼は師と同じくポーランドの歴史上の出来事や有名な逸話を取り上げるほか、絵のモデルとして自分を登場させたり個人の心情をリンクさせることで、より感情移入しやすい形で表現しました。

代表作《画家の霊感》はキャンバスを挟んで思い悩む画家(マルチェフスキ)とモデルの女性を描いた作品...に見えますが、女性はポーランドを女神の姿に寄託した「ポロニア」。その姿は、服はボロボロ、足には枷がつけられ、表情は悲しげにも何かを訴えかけているかのようにも見えます。マルチェフスキは当時のポーランドの状況をポロニアの姿に込め、祖国の現状を憂う自分の気持ちを表現しています。

〈若きポーランド〉と日本美術

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〈若きポーランド〉―色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より

その後はさまざまな〈若きポーランド〉の作家たちの作品が、自然の風景や人物像といったモチーフや表現の傾向別に紹介されています。
モネなど印象派の画家を彷彿とさせるものもあれば、アール・ヌーヴォーやウィーン分離派、アーツ&クラフツなど、19世紀末~20世紀初頭のヨーロッパの芸術運動の影響がそこかしこに見られるのが特徴。当時のヨーロッパ芸術のトレンドが混ざり合って凝縮しているかのようです。〈若きポーランド〉の芸術家たちの、最新の表現を積極的に取り入れようとする姿勢が伝わってきます。そこに象徴主義表現が組み合わせることでポーランド芸術の独自性が生み出されています。

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〈若きポーランド〉―色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
スタニスワフ・ヴィスピャンスキ《夜明けのプランティ公園》1894年 個人蔵(クラクフ国立博物館寄託)
ヴィスピャンスキは絵画以外にも詩人や劇作家、デザイナーなど幅広く活躍したマルチアーティスト。
絵画以外の作品も展覧会では紹介されています。

ヴィスピャンスキの《夜明けのプランティ公園》は、一見、何気ない街頭の風景をに見えますが、奥に描かれているのはクラクフの街のシンボルで王宮でもあったヴァヴェル城。そこから、「祖国の象徴の夜明け」、ポーランドの夜明けを望む絵とも読み取ることができます。絵の中心には不自然にひとつだけ街灯が描かれており、明るい光を放っています。「希望の灯は消えていない」と訴えかけているかのようです。

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〈若きポーランド〉 ―色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
クラクフ国立博物館のコレクションの浮世絵と併せて作品を展示している箇所も。
どこに影響を受けているか、似ているところを見比べて鑑賞できます。

この《夜明けのプランティ公園》は日本美術の影響を受けた作品でもあるそう。敢えて手前に大きく木を描き、その向こう側に主題となる風景を描く構図は、葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵でよく見られるものです。
当時、浮世絵は西洋画の常識にとらわれない新しい表現として印象派をはじめとする画家たちに影響を与えていましたが、それは〈若きポーランド〉の画家たちにも同様だったようです。

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〈若きポーランド〉―色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
〈若きポーランド〉の画家たちが描いたヤシェンスキの肖像画が何種類も!彼の影響力を伺わせます。

〈若きポーランド〉と日本美術を結び付けた人として紹介されているのが、フェリクス・ヤシェンスキ。クラクフ有数の資産家であった彼は、〈若きポーランド〉の熱心な支援者で、日本美術のコレクターでもありました。ヤシェンスキは日本の美術を「国の独自性を追求し表現する手本」と捉え、そこにポーランド芸術の理想像を見出していたそう。そのため自分が収集した日本美術を積極的に一般に公開したり、若い芸術家たちに資料として貸し出したりしていたそうです。

1920年にはヤシェンスキのコレクションはクラクフ国立博物館に寄贈され、現在でもヨーロッパを代表する日本美術コレクションとして知られています。展覧会でいくつか浮世絵や日本の美術品が展示されていますが、それは元々ヤシェンスキがコレクションしたものの一部です。

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〈若きポーランド〉―色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
背中を見せる構図や髪を整える様子、人物の立ち方など、浮世絵の美人画の影響が感じられます。

ヤシェンスキと彼のコレクションを通じて〈若きポーランド〉の作家たちは日本美術への理解を深め、そのテイストを取り入れた作品を数多く制作しました。
着物などの品を直接引用したものもありますが、浮世絵の美人画で見られる髪を梳く様子などのモチーフを取り入れたり、構図の取り方そのものを参照したものも多く見られます。

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〈若きポーランド〉―色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
オルガ・ボズナンスカの作品を集めた展示室。浮世絵の女性をイメージしたポートレートも。

ポーランドを代表する女性画家オルガ・ボズナンスカも日本美術に影響を受けた一人。傘を持った女性像や、人物の後ろに窓を配して風景を描いた構図など、端々に日本の影響が滲みます。
ポーランドの画家たちが、日本美術という異文化から得たインスピレーションを表面だけでなくより深い部分で受容しようとする姿勢を、作品から感じとることができます。

「ポーランドらしさ」の追求―フォークロア

当時最新の美術表現を積極的に学ぶ一方で、〈若きポーランド〉の作家のなかではポーランドの独自性をいかに表現するかの追求もされていました。そのなかで注目されたのが、郊外の農村地域に伝わる文化や伝統、地方の風景。農村の古き良き文化に祖国らしさ・民族的伝統を見出して芸術に取り入れる動きは〈若きポーランド〉の大きな潮流となっていきます。

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〈若きポーランド〉―色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
ヴウォジミェシュ・テトマイェル《芸術家の家族》1905年 クラクフ国立博物館
テトマイェルが自分の家族をモデルに農村風景を描いた作品。
花柄の散りばめられた民族衣装が目を引きます。

そんな画家の一人・テトマイェルは、ポーランドの伝統的な文化を残す農村の暮らしに惹かれ、農家の女性と結婚して農村に移住。彼女や子供たちなど自分の家族をモデルに農村の生活をテーマにした絵を数多く描きました。
テトマイェルは都会育ちで海外留学経験も豊富なエリート貴族。まだ身分制の考え方が色濃かった当時、身分違いの結婚をしたテトマイェル夫妻は大変なセンセーショナルな存在でした。その後、身分違いの結婚をテーマとした戯曲や本も多く出版されたそうです。

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若きポーランド 色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
カジミェシュ・ブジョゾフスキ[デザイン]アントニーナ・シコルスカ キリム工房、チェルニフフ[制作]《キリム》1906年以前 クラクフ国立博物館
ポーランドの国民花であるゼラニウムを図案化した絨毯。

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若きポーランド 色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
ヴィスピャンスキが1904-5年頃にデザインした椅子。
ポーランドの山間部ザコパネ地方の建物の意匠を取り入れています。花柄のデザインもポイント。

地方の伝統文化を取り入れる潮流はデザインや工芸の分野にも及び、地方の伝統文様を取り入れたデザインの家具やテキスタイルなどを多数制作されました。なかでもゼラニウムは「クラコヴィアキ(クラクフっ子)」と呼ばれるほど人気の花で、布地や家具調度品など実に様々なところで好んで用いられています。日々の生活に使うものの中にも「ポーランドらしさ」を表現することで、自分達の独自性を守ろうとした思いが感じられます。

そして独立前夜

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若きポーランド 色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
左:レオン・ヴィチュウコフスキ《スタンチク》1898年 クラクフ国立博物館
右:ヤツェク・マルチェフスキ《義勇軍のニケ》1916年、《ピューティア―》1917年 ともにクラクフ国立博物館
〈若きポーランド〉の初期に描かれた作品と、独立回復直前に描かれた作品の対比。

1900年代に入ると、ポーランドを分割統治していた国々の力関係は大きく変わっていました。特に1905年のロシア第一革命や日露戦争の影響は大きかったようで、大国ロシアの凋落に対しポーランドの独立回復の機運が高まります。そして1918年の第一次世界大戦の終わりとともに、ポーランドはついに独立復帰を果たします。

最後の章で登場する独立前夜の時代に描かれた作品からは、より具体的にポーランドの独立心を象徴するような表現が見られます。
マルチェフスキの《ピューティアー》は、ギリシャ神話をモチーフにしながら、神々からのお告げを待つ女神官の姿に、待ち望んだ独立を前に抑えきれぬ昂揚感を滲ませるポーランドの人々の想いが込められているようです。近くには展覧会の冒頭にも登場した宮廷道化師スタンチクが現状と国の行く末を憂う姿を描いた作品がありますが、併せて見ると〈若きポーランド〉の芸術家たちが生きた30年間の変化が感じられます。言葉ではなくとも、作品は雄弁に、当時の人々の想いを今の私たちに伝えてくれています。

まとめ

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〈若きポーランド〉―色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)展示風景より
オルガ・ボズナンスカの作品を集めた展示室。

「祖国がなくなる」時代を経験したポーランドの人々にとって芸術は、言葉に出来ない祖国への想い、独立の希望、自分たちらしさを表現し形にすることができる手段であり、まさに心の支えでした。人々は自分たちの歴史や文化、祖国の景色を描き、それを見ることで「自分達は何者か」を都度思い出していたのでしょう。自分達の文化を失うということは、即ちアイデンティティの喪失。地図上だけでなく心や記憶からもその存在が失われないように、文化芸術は一種の防波堤のようになっていたのです。この展覧会からは、普段何気なく目にする芸術作品の持つ役割、文化芸術の価値や重みが伝わってきました。
同時に、最先端の表現を貪欲に取り入れ、より良い、新しい表現を目指す〈若きポーランド〉の作家たちの姿は、前向きなエネルギーに満ち溢れています。苦難のなかにあっても前を向き続けたポーランドの人々の姿に、人の生きる力や逞しさを感じずにいられません。文化芸術は人々の希望の現れでもあったのです。

現在進行形で世界のどこかで戦争が起きている今、かつてのポーランドのような状況におかれている人々は確かにいます。そんなときにおける文化芸術の存在意義とは何か、を考えさせられる展覧会でした。

開催は6/29(日)まで。

■ 〈若きポーランド〉―色彩と魂の詩 1898-1918(京都国立近代美術館)

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