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【レポ】開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)

2024/01/17

kobayashimasakazu(23).jpg開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)展示風景

2023年春から続いてきた、京都国立近代美術館の開館60周年記念展シリーズ。そのラストを飾るのが、「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」です。

「ファイバーアート」とは、糸や布などの繊維素材を使った造形美術のこと。元は織物や染物などの「テキスタイルアート」から派生したものですが、1960年代以降、従来のタペストリーなどの平面的表現に留まらない染織作品が登場したことから、何か用途を持つわけではない、作家個人の表現や技法に基づく繊維素材を使った造形作品を指す言葉として「ファイバーアート」が1980年代頃から使われるようになりました。特に1962年~1995年に行われたローザンヌ国際タペストリービエンナーレ(スイス)は、「ファイバーアート」を世界的に広め、大きく発展させる役割を果たしました。

京都国立近代美術館は1970年代からファイバーアートに注目しており、1971年には「染織の新世代」展、1976・77年には「今日の造形〈織〉」展を開催。日本の公立美術館として初めて、当時最先端のファイバーアートを展覧会で紹介したそう。(この頃は「ファイバーアート」という言葉がまだなく、染織のひとつとして「織」と呼称)これもあり、現在も京近美のコレクションには多くのファイバーアート作品が収蔵されています。

そのコレクションにも含まれているのが、今回の展覧会で取り上げられる日本のファイバーアートのパイオニア・小林正和です。小林は2004年に60歳の若さで亡くなりましたが、その後まとまった形で活動を振り返る機会がなく、小林と直接親交のあった作家や関係者も高齢化が進んでいることから、この機会に回顧展を行うことになったそうです。
今では糸や布などを素材とした現代美術作品はよく見るようになりましたが、その世界を切り拓いた作家たちは、どのような作品を生み出していたのでしょうか。

垂らす、張る、重ねる...ファイバーアート作家が追い求めた「糸」と「空間」の可能性。

元々色彩表現に興味を持っていたという小林正和は、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)で漆工を学んだ後、当時京都で最も活気のあった染織業界を希望し、京都を代表する染織企業・川島織物の研究所考案部(デザイン部)に就職します。
小林はそこで「糸」という素材に出会い、糸を「垂らし」「緩め」「張り」、それを集積させた立体造形作品を発表。そして第6回ローザンヌ国際タペストリー・ビエンナーレへの入選を皮切りに、国際的にも高く評価されるようになりました。

展覧会はおおよそ時系列順で、初期から晩年までの小林の代表作を紹介しています。また、随所に同時期に活動した作家の作品も展示され、各作家の個性やファイバーアートの表現の幅広さ、当時のファイバーアートの盛り上がりがより味わえる構成になっています。

序章&第1章

kobayashimasakazu-repo(1).jpg開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)展示風景
手前は 小林正和《吹けよ風》1972年

展示の最初は、小林正和の川島織物時代の作品、そして飛躍の契機となったローザンヌをはじめとする国際タペストリー・ビエンナーレの出品作品を中心に紹介されています。この頃は美術としての染織品といえばまずは壁を飾る平面作品が想定されていたので、展示の冒頭に登場する作品も平面作品が主体である点が特徴です。
川島織物は明治初頭から美術染織作品に取り組んできた企業で、ローザンヌのビエンナーレには初回(1962年)から参加。社内でコンクールを行い高評価を受けた作品を出品していたそうで、小林をはじめ多くの作家がこの流れで世界デビューを果たしました。

小林正和がその名を世界に知らしめるきっかけとなったのが《吹けよ風》。しっかりと織り込まれた綴織の部分と、緩めた経糸が垂れ下がる部分が交互に並ぶ構成で、糸の隙間や重なりがまるで山や波が連なっているような立体感を感じさせます。

kobayashimasakazu-repo(2).jpg開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)展示風景
手前は 小林正和《WIND-4》1975年

すぐ近くには後に《吹けよ風》を後に素材を化繊糸に変えて制作した《WIND-4》も展示されています。素材によって太さや硬さなどの風合いが異なるので、同じ形態の作品でも表情も違って見える面白さが味わえます。

kobayashimasakazu-repo(3).jpg開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)展示風景
左奥は 小林正和《W³》1976年、手前は 小林正和《Clear the Land》1978年 共に京都国立近代美術館蔵
右奥は 小名木陽一《裸の花嫁》1972年 京都市美術館蔵

小林は染織作品=平面という殻を打ち破るように、さらに立体的な表現に作風を展開していきます。《W³》では壁面に垂らした糸を骨組を使って壁から浮き上がらせ、《Clear the Land》では壁から離れ床に置く立体オブジェのスタイルになっています。

kobayashimasakazu-repo(5).jpg開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)展示風景
小林正和《Sprit of Tree(一本の気)》1987年

小林はさらに糸を「張る」表現も生み出しました。《Spirit of Tree(一本の気)》では、丸太の一部を細く切り、その端に糸を結び付けて弓の弦のようにしています。糸は一本でも表情を生み出せる。織るだけではない、糸という素材の可能性をさらに広げています。

kobayashimasakazu-repo(4).jpg開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)展示風景
奥は 小林尚美《Ito-wa-Ito(糸は糸)》1981年 群馬県立近代美術館蔵
手前は 小林正和の作品構想スケッチ。展示作品のベースになったものも見られます。

また、今回の展示では小林と同時期から活動している作家の作品も一緒に見ることができます。床に展示されている白い綿糸を編んだクレーターのような作品は、小林正和のパートナーでもあり、現在も第一線で活躍しているファイバーアート作家・小林尚美さんの作品。彼女も元々川島織物で活動していた作家でした。

第2章

第2章はさらに小林正和が表現や活動の幅を広げていった1980年代が中心。この頃、小林は作家活動以外の動きが多く制作した作品数は少ないものの、作風の変化がはっきりと見られる時期なのだそう。

kobayashimasakazu-repo(6).jpg開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)展示風景
小林正和《KAZAOTO-87》1987年 国立国際美術館蔵

特に目を引くのが大型のインスタレーション作品。
《KAZAOTO-87》は、糸を張った弓状のパーツを複数立てて並べることで表現されています。広い空間に並べることを前提とした作品で、まるで薄の原っぱのような表情を見せています。弓状のパーツは他の作品でも度々用いられており、単独で置いたり複数を組み合わせたり、立体的に建てたり平面上に重ねたり...バリエーションの広さが感じられます。

kobayashimasakazu-repo(10).jpg開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)展示風景
小林正和《MIZUOTO-99》1999年

《MIZUOTO-99》は沢山の糸を「垂らし」そこに棒を渡して「張る」、異なる表現を組合せ糸の表情変化を引き出しています。水面のように風で揺れる糸は、よく見るとうっすらと色がついています。近づいたり、下から覗いてみたり、「様々な角度から見ることができる」のは空間展示ならではの面白さ。小林の意識が「空間」へより一層展開していったことも感じとれました。

kobayashimasakazu-repo(12).jpg開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)展示風景

また、ここでも同時期のさまざまな作家の作品が展示されています。先に紹介した小林尚美をはじめ、小林と親交も深かった日本のファイバーアートの第一人者・草間喆雄さんなどの作品も。「ファイバーアート」はこんなに色々なことができるのか、とその幅広さと個性の豊かさに驚かされました。

第3章

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小林正和制作の「ギャラリーギャラリー」の展覧会DM(ダイレクトメール)はがき

第3章では、ファブリックデザイナー、そしてギャラリー経営者としての小林正和に焦点が当てられます。
1981年、小林はファイバーアート専門のギャラリー「ギャラリーギャラリー」を四条河原町のビル内にオープンします。継続的にファイバーアートを展示できる"実験場"を作ることで、自分はもちろん他の作家、そして後進の若手作家たちにも活動の場を提供し、ファイバーアートの発展に寄与しようという試みでした。(「ギャラリーギャラリー」は2022年12月に閉廊)

ここでは、小林が自ら制作・配布したギャラリーのDMはがきなどが展示されています。紙に糸や布の端切れなどが張り付けられていて、ひとつひとつが小さな作品になっている点がユニークです。また、小林がギャラリーと並行して経営していたショップで販売された品は、ポストカードや封筒に入れて郵送できる小さな作品、ユニークなかたちのステーショナリーなど、今見ても心がくすぐられる遊び心溢れる品々が多数。小林のマルチな才能を感じさせます。(一部の商品はミュージアムショップで関連グッズとして販売されています)

第4章

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上は 小林正和《NODATE-ANDGALLERY-95》(1995)、下は
《White Nebula #005》(2001)
奥は 三橋 遵《夜の居場所》(2023)本展のための新作です。

小林は晩年近くになると、戸外インスタレーションへ作品を展開していきます。
第4章で展示されているのは、私設ギャラリーの前、戸外設置を想定して作られた《NODATE-ANDGALLERY-95》と《White Nebula #005》。《NODATE-ANDGALLERY-95》は、糸ではなく布を用い、水玉模様に透けた部分から光と影がこぼれ、幻想的な空間を創り出しています。展覧会を通じ「小林といえば糸の作品」というイメージができたところで、最後に登場するのが布の作品とは!染織は平面、壁面に飾るものという枠を破った小林が、今度は素材の枠からも離れ、さらに自由な表現に羽ばたいていった―そんな感覚を覚えました。

また、本展の締めくくりには、小林以降の世代のファイバーアートを紹介することを目的に、現在第一線で活躍しているファイバーアート作家4名による新作が展示されています。

kobayashimasakazu-repo(15).jpg開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)展示風景

こちらは戸矢崎満雄さんがギャラリーギャラリーでかつて開催した展覧会の風景をミニチュアのジオラマで再現した作品。ショーウィンドウのように窓から展示室を覗くという、ギャラリーギャラリーならではの観覧スタイルも追体験できます。

kobayashimasakazu-repo(22).jpg開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)展示風景

新作のうち、島田清徳《遠との共鳴 記憶の波音-k-2024》は1階の講堂横のフロアに設置。白い布をドレープをつけて無数に並べたような作品です。向かい合うように並ぶのは、カラフルな着物型の布で構成された小林正和の《HAGOROMO》。島田さんの作品も、そのタイトルの通り、本展に合わせて小林の作品にオマージュのもと作られたもの。時を越えた作品の呼応が味わえる空間になっています。


これだけの数のファイバーアート作品を一度に鑑賞したのは初めての経験でした。
印象深かったのは、「糸」や「布」という素材がこんなにも表情が豊かなものだったということ。小林さんは糸が持つ表現の可能性を追求していたそうですが、実際に作品を見ていると「緩める」「垂らす」「ピンと張る」「重ねる」...扱い方で無数に変化するその表情に、素材の魅力や奥深さを感じました。

ファイバーアートは90年代までは盛んに展覧会が行われていましたが、ローザンヌのビエンナーレが96年に終了した後、現代美術の潮流の変化もあって急激に減少。しかし近年になって海外で次代のファイバーアートを特集した国際展が開催され、ローザンヌのビエンナーレを見直す試みが行われるなど、再注目の傾向も出てきているそうです。
小林が切り開いた「ファイバーアート」の世界は、これからどんな展開をしていくのでしょうか。最後に登場した新作の作品を見ていると、もっと色々なファイバーアートを見てみたい!とさらに興味が湧いてきました。

展覧会の開催は3月10日まで。

開館60周年記念「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」(京都国立近代美術館)

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