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【連載コラム】白沙村荘の庭から|第二十二回 「哲学の道 関雪桜100周年」

2021/03/29

京都には大小さまざまなミュージアムがありますが、 中には嘗て作家自身が暮らした家や、現在も人が暮らす住居を公開している施設もあります。
「白沙村荘の庭から」は、そんなミュージアムのひとつ、白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長・橋本眞次様に、ミュージアムの日々を徒然と綴っていただくコラムです。


関雪桜 大文字.JPG

蹴上から南禅寺の水路閣を経由して流れる琵琶湖疏水の分線。
明治期には、東山山麓に広がる水田の為の灌漑用水として利用されていました。
そして、大正期にかかる頃にそれらの水田は宅地へと姿を変え、分線も水路としての用を終えたのでした。

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日本画家 橋本関雪が、銀閣寺前のこの地に画室を備えた邸宅の建造を始めたのは1914年のこと。日露戦争への従軍を終えた関雪は、東京の谷中の寓居を引き払い京都へ移住しました。南禅寺金地院境内に仮住まいの場を移し、そして京都での本拠とする場所の構想を進めながら制作活動を続けていました。

現在白沙村荘のある場所を選んだ理由はいくつかあると思いますが、大きな要因は「水を得やすい」ということ。画を描くためには何はなくとも多くの水が必要。なので、先述の分線から水田に水を分け入れるための分水枡ごと土地を買い取り、そこから庭の池へ、家屋の中に引き入れて生活に使うなどいくつかの水路を整備して利用しました。

この疏水の水を貰ったお礼、そして兵庫県出身の関雪を快く迎え入れてくれた南禅寺、そして銀閣寺界隈の方々へのお礼として、1921年に琵琶湖疏水分線沿いに関雪夫妻から桜並木が寄贈されました。

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関雪桜の植樹許可証


現在は哲学の道と呼ばれる若王子神社から銀閣寺道に至る水路に植えられた桜を、地元の人々は親しみを込めて「関雪桜」と呼びました。

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関雪桜の詩碑

関雪自身が寄贈に際し残した文章の中に「昨今、世情も暗く、せめて皆様の気持だけでも華やかとなるように桜を植えることを考えた」という一文があります。

今から100年前となる1921年の前年まで、スペイン風邪(インフルエンザ)が世界的なパンデミックを迎えていました。今もまた新型コロナウイルスがまさにパンデミックを起こし、世界も日本もそしてこの京都も皆が未来に対して明るい展望を持ちにくくなっている事かと思います。

関雪夫妻が当時思ったように、昨今のコロナ疲れで暗くなった世の中の空気が、美しい桜が満開となることで少しでも和らぐことを心から願っています。

せめて気持だけでも、華やかに...と。



関雪桜 花筏2021.JPG

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