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【展覧会レポート】「川西英コレクション収蔵記念展 夢二とともに」(京都国立近代美術館)内覧会に行ってきました!(1)川西英と竹久夢二の交流と絆

2011/11/11

京都の秋も本番!まだまだ序盤ですが、京都の木々も少しずつ色づいてきた感じです。
秋といえばやはり芸術の秋でしょう。
というわけで、今回は今年の秋の京都の注目展、「川西英コレクション収蔵記念展 夢二とともに」に行ってきました!

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美術館前も夢二カラーになってます!


今回の展覧会は、版画家の川西英さんがコレクションした約1000点の「川西英コレクション」のお披露目も兼ねた展覧会。

川西英さん(1894-1965)は神戸を拠点に活躍した創作版画家。カラフルな色使いで神戸の町の風景を表現した代表作の「神戸百景」は現在も人気が高く、ファンを集めています。
神戸市:神戸百景 川西 英 -百の風景をたどる旅

そんな川西さんは竹久夢二の大ファンであり熱心にその作品を収集していました。その数、コレクションの約3分の1。その中心を占めています。
また、自身も作家であった川西さんは親しいアーティストともよく作品を交換したり購入したりしていました。そこで集まった貴重な同時代の作家たちの作品も多数含まれています。

会場には川西英さんの息子さんの祐三郎さん(1923- )もいらっしゃっていました。ご自身も版画家として活躍されているのですが、神戸土産としてお馴染みの神戸風月堂のゴーフル缶に描かれているカラフルな神戸の風景版画は彼の作品です。(見覚えのある方も多いのでは?)

京都国立近代美術館では、川西さん自身の作品も所蔵しており、以前から歴代の館長さんや学芸員さんが、川西家とは交流を持っていました。そのご縁もあって、今回のコレクションの収蔵にいたったそうです。
元々は作品調査を行っていた神戸市立美術館に寄託されていたそう。しかし特に親しくしていた以前の近代美術館の館長さんがこのコレクションの価値にほれ込み、大変熱心に譲ってほしい、とお願いされていたそうで、「熱意に負けました(笑)」(祐三郎さん)とのこと。

「でも、これほどのスケールの展覧会となり、英も大変喜んでいることでしょう」(祐三郎さん)

ちなみに今回の展覧会は美術館自身のコレクションを主体とした展覧会です。いわば「収蔵品展」。

「自らのコレクションはいわばその施設そのもの、生命線です。それをいかに魅力的に見せるか、は美術館にとってもとても大きな意味があります」(企画担当・山野学芸課長)

美術館の熱意と気合もたっぷり、の展覧会!これは期待してしまいますね!

展示の見所や様子についての詳しいレポートは随時掲載していきます。まずは続きをどうぞ!

「京都で遊ぼうART」では、「夢二とともに」展の企画を担当された、山野学芸課長へのスペシャルインタビューをさせて頂きました!
もっと詳細な展覧会についてのお話はもちろん、美術館とコレクションの大切さなど、なかなか聞けないスタッフの本音を教えていただいています。
近日公開予定。お楽しみに!

川西英と竹久夢二の交流と絆。


『私の青年時代に一番感動を受けたのは夢二の画であった』と、会場入口にも掲げられた英さんの言葉には書かれています。
これは、1960年に出された「これくしょん~竹久夢二の著書など~」という小冊子に英さんが寄稿した「夢二追憶」という文章。

「これを最初に見たときから、展示のスタートにしようと決めていました」(企画担当・山野さん)というこの文章には、英さんの夢二への憧れ、そして自身も一人の芸術家として大きな影響を受けたことなどが英さん自身の言葉で綴られています。
(図録にも「これくしょん」自体が収録されているので、ぜひ読んでみてください)

yumeji2011-2.jpg英さんが夢二とであったのは15歳頃。雑誌に載っていた夢二のコマ絵(カット)をひたすらまねして描いていたそうで、その絵もしっかりコレクションとして残しています。びっしりと紙面を埋めるコマ絵は、どれだけ英さんが夢二に夢中だったかを教えてくれるようです。

yumeji2011-3.jpg印象深かったのは、夢二が初個展を開いたときのポスター。(英さんは神戸からとんでいったとか...)なんと「岡崎公園図書館」の文字が!
京都国立近代美術館のお隣にある京都府立図書館のことです。
ちょっと感慨深いものを感じてしまいました。

英さんと夢二のやりとりした手紙も展示されています。丁寧に、便箋からはがきから封筒からきちんと残っている様子からは、本当に大切に保管していたその様子が伝わってきます。

「10も年上の大先輩である夢二先生に、父(英)はしょっちゅうファンレターを送っていました。また、夢二先生からの返事が届くと「うちの宝だ!」とも言って、大変に大事にしていました。」(祐三郎さん)

夢二も丁寧に手紙の返事を書き送っていたようで、渡欧した際の知らせや、版画家となった英さんに作品の感想もよせていたようです。

「ファンとのやりとりで始まった関係が、同じアーティスト同士としてのつきあいに変わっていったようです。また、夢二先生からは「あなたも私も絵の学校へ行かなかったことが大変しあわせにおもいます、このままの画風ですすんでください」といった手紙も頂いています」(祐三郎さん)

手紙の中には、夢二が亡くなった際に英さんに送られた知らせの手紙や、その後夢二の記念碑を建てることにした英さんが寄付をした通知書なども含まれていました。

yumeji2011-4.jpg一人のファンから、彼に私淑し尊敬するアーティストとなった英さん。
それを喜び、親しげに言葉を返していた夢二。
英さんがますます夢二を好きになり、作品集めに夢中になっていたことは想像に難くありません。

「この展覧会のタイトルを「夢二とともに」としたのは、川西英さんと竹久夢二がともにあったからこそ生まれたコレクションである、という意味もあるんです」(山野さん)

手紙のコレクションの数々から、二人の見えない絆が伝わってくるようでした。

yumeji2011-5.jpg↑ これは川西英さん自身の作品。
左から二番目の女性像の着物の色使いなど、夢二の影響を感じます。

(続く)

関連リンク

川西英コレクション収蔵記念展 夢二とともに (11/11-12/25)
京都国立近代美術館


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