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【投稿レポート】京都の名所と古典レポート:「誓願寺と誠心院~和泉式部日記から学ぶ恋の作法」

2010/12/20

ライターさんからの投稿レポートをご紹介。
今回は此糸さんより、ちょっと毛色が違う、京都の名所と古典の関係を紐解くレポートを頂きました。
京都の名所に秘められた、歴史と雅なエピソード。京都の旅もより楽しめます!
今回のテーマは「恋の作法」。平安の昔の「イイ女」から、恋のお作法を学んでみるのはいかが?現代にも通じるテクニックもきっとあるはずです。
(此糸さん、どうもありがとうございました!)

誓願寺と誠心院~和泉式部日記から学ぶ恋の作法


京都の繁華街、新京極通と六角通が交わるところに、誓願寺というお寺があります。
また、そこから少し南に下ると誠心院というお寺があります。
ふたつとも、平安時代の歌人である和泉式部にゆかりの深いお寺です。

和泉式部は恋多き女として知られ、道長からは「浮かれ女」とからかわれ、同僚の紫式部からも「けしからぬかたこそあれ」(『紫式部日記』)と評されています。

夫ある身でいながらの為尊親王、続く弟・宮敦道親王との和泉式部の恋愛は、京の都をだいぶ騒がせたようです。とりわけ、敦道親王との恋愛は『和泉式部日記』に詳細に描かれ、私たちは二人の恋がどのように始まったのかを知ることができます。それはまるで恋の作法のお手本のような、女と男のやりとりです。
『和泉式部日記』から学ぶ、恋の作法を見ていきましょう。


その一 「恋はあきらめから。」


「夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば」

これは『和泉式部日記』の冒頭になります。
この前の年の六月、和泉式部の恋人であった為尊親王は病のため亡くなっています。
夏の終わりに最愛の人を失った式部は悲嘆に暮れて日を過ごし、季節は巡り、また夏がきたのです。夏になって草木は再び生い茂り生命力を漲らせるけれども、亡きあの人は帰って来ない。女の眼は草木の陰が広く濃くなっていくほうに向き、自らの暗い心を眺めています。
男女の仲のはかなさを痛感した女の喪失感。日記を通して、女はどこか恋に対してのあきらめの態度を見せながら、だからこそ相手を強く求め、また受け入れています。

「もう恋愛はいいや」と思った時ほど、男の人が近づいてくることってありませんか?
それは女が無意識に醸しだす人恋しさや、相手への寛容さがあるからです。

その二 「恋は共感から。」


そんな女のもとに、為尊親王の弟君である敦道親王から橘の花が届けられます。

「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(『古今和歌集』)を踏まえ、敦道親王もまた、夏になって亡き兄為尊親王を思い出しているというメッセージです。
あなたもまだ兄の死を悲しんでいるのではありませんか?
そうした思いやりもみえます。

一年近くの月日を孤独に嘆き悲しんでいた女にとって、同じ悲しみを共有する人がいてくれたことがどれほど救いに感じられ、慰められたか知れません。

二人の心が近づくために一番必要なものはこの「共感」ではないでしょうか。誰にも分からない、でもこの人なら分かってくれるかもしれない。そう思ったときに恋は始まるのです。



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