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京都MUSEUM紀行。第十回【元離宮二条城】

京都ミュージアム紀行 Vol.10 元離宮二条城

  • 二条城の見所 城の中心『本丸』
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京都観光のハイライトとしてもお馴染みの二条城。徳川家康が将軍職を与えられて江戸幕府を開き、そして徳川慶喜が大政奉還を行い江戸幕府を終わらせた、日本の歴史において重要な位置を占めた城です。また、京都でも数少ないお城の形を留めた城であり、街中からも程近い場所であることから、地元京都の人々にも親しまれてきました。しかし、あまりに有名なために、その詳細については案外知られていない部分も多いかもしれません。今回は何気なく通り過ぎてしまっていそうな二条城の魅力と見どころを、見学ルートをたどりながら改めてご紹介します。

二条城とは

日本の歴史において「二条城」という名の城は複数存在します。現在の二条城は、関ヶ原の戦いが終わって間もない1603年(慶長8年)に、徳川家康が京都御所の守護と京都での宿泊所として造営したものです。その後三代将軍・家光が後水之尾天皇の行幸(*1)に際して整備し直し、1626年(寛永3年)に現在の規模で完成させました。 1867年(慶応3年)に十五代将軍・慶喜が大政奉還を行って江戸幕府を終わらせた後、二条城の所有権は朝廷に渡り離宮のひとつとされます。そして1939年(昭和14年)に京都市に下賜される形で管理権が移り、翌年から一般に公開されるようになりました。

*1) 天皇が外出すること。御幸(みゆき)と言う場合もある。

二条城の見所

二条城の総面積は、27万5千平方メートル。甲子園球場が6つ入ってしまうほどの広大な敷地の中に、二の丸御殿をはじめ、門や櫓、庭園などが配されています。


取材時は秋の「お城まつり」期間中のため、豪華な菊飾りも展示されていました。

番所

受付になっている東大手門を通ってすぐ横に見える細長い建物が「番所」です。ここは城の受付や警備室にあたるところ。普段、二条城は江戸から派遣されたの武士(二条在番)が毎年50人の組が2組ずつ年一回交代で警備・管理を行っていました。番所は普通、お城には必ずあるものなのですが、現在も残っているお城はほとんどないそうです。実は大変貴重な建物なのです。

櫓(やぐら)

番所とは逆方向に目をむけると、敷地角に見えてくるのが「東南隅櫓」です。実はここも隠れた見どころ。見張り台にあたる櫓はかつては敷地の各角、そして本丸・二の丸といった主要な建物の隅に備えられていましたが、1788年(天明8年)の「天明の大火」(*2)の際にほとんどが焼失してしまいました。現在残っている二条城の櫓は、この「東南隅櫓」と対にあたる「西南隅櫓」の2つのみ(どちらも重要文化財)です。櫓の周辺は春には桜が、秋には紅葉が覆い、まるで絵のような美しさを楽しめます。

*2)京都で起きた史上最大規模の火災。二条城のほか、御所や京都所司代などの要所が軒並み焼失し、京都市街の8割以上が炎上した。

二の丸

唐門

もうしばらく敷地を進むと、豪華な装飾が施された門が見えてきます。これは二の丸御殿の正門にあたる「唐門」(重要文化財)です。6本の足で支えられた屋根は前後は唐破風、側面が切妻造という異なる作り方が組み合わされており、その下には極彩色の彫刻が施された欄間が飾られています。牡丹に蝶、鶴亀に松、龍と虎、亀に乗った仙人と鳳凰とモチーフはどれも縁起物です。(2012年現在、修復工事が行われているため非公開)

手前の屋根の建物が「車寄」、奥に見えるのが「遠侍」です。

二の丸御殿

唐門をくぐった先に見えてくるのが、二条城の中心的な建物のひとつ「二の丸御殿」です。京都滞在時の政務や将軍の生活の場所として用いられました。

車寄の屋根下の欄間彫刻。色鮮やかな彩色は現在もきちんと残っています。天皇も訪れる場所であったこともあり、菊の御紋も随所にあしらわれています。

車寄

御殿の玄関にあたる場所は「車寄」と呼ばれます。天皇や公家が牛車に乗って訪れた際にそのまま建物に入ることができるようなつくりになっており、そのことからこの名が来ています。 目を引くのは屋根下に施された欄間彫刻。5羽の鸞鳥(らんちょう)(*3)・松・牡丹が、上には雲、下には笹があしらわれています。表と裏ではデザインが異なっているのもポイントです。

*3)中国の伝説に登場する想像上の鳥。5色の羽に5音の声を持つとされ、君主が正しい政治を行っているときに現れるとも言われた。

複数の部屋が連なる国宝

二の丸御殿は桃山時代の武家風書院造の代表的な建物で、全体が国宝に指定されています。車寄の隣には最も広い部屋「遠侍」があり、続いて「式台」「勅使の間」「大広間」「黒書院」「白書院」といくつもの部屋が連なる形で構成されており、それぞれの部屋は用途が決まっています。

通称「虎の間」(写真提供:元離宮二条城)

遠侍

「遠侍」は来客の控え室にあたる部屋です。城に参上した大名たちは、まずはこの部屋で受付を行い、将軍や老中などとの面会を待ちました。広い部屋はその中でもまたいくつかの間に仕切られており、身分ごとに通される場所も異なっていたようです。特に一の間から三の間は勇壮な虎と豹の絵が描かれていることから「虎の間」とも呼ばれています。ちなみに1611年(慶長16年)に徳川家康が豊臣秀吉の子・秀頼と会見を行ったのはこの遠侍だそうです。この会見の際に家康は豊臣家を滅ぼす戦「大阪の陣」を決意したとも言われています。

勅使の間

朝廷からの使い・勅使が城を訪れた場合に用いる部屋です。勅使は将軍よりも立場・身分は高い扱いになるため、先に将軍が部屋に入って勅使を迎えました。座る場所も、勅使の方が上段に、将軍が下段になります。

大広間の「一の間」。狩野探幽の描いた松の障壁画が部屋を彩り、天井の装飾も大変豪華な、荘厳な空間となっています。(写真提供:元離宮二条城)

式台の間

大名が老中職と挨拶を交わす応接間です。将軍に献上するものがある場合などは、この部屋で取り次ぎを行いました。勇壮な松の障壁画は狩野探幽の筆とされます。北半分には老中の控え室兼執務室(老中の間)が設けられています。

大広間

大広間は四つの部屋に分かれており、一の間・二の間が将軍と諸大名との対面を行う応接間、三の間が大名の控え室、四の間が将軍が上洛した際の武器庫代わりに使われました。 一の間は将軍が座る一番格式高い部屋として、設備も天井も二の丸御殿でも最も豪華なつくりとなっています。1867年(慶応3年)に徳川慶喜が「大政奉還」を発表し江戸幕府が幕を下ろしたのもこの部屋です。現在置かれている人形は江戸前期の諸大名が将軍に謁見する場面を再現したものです。二の間は後水尾天皇が行幸された際には能舞台として使用されたそうで、後ろに大きく描かれた松の絵が印象的です。また、三の間には厚さが35cmもあるヒノキの欄間が飾られています。こちらも車寄のものと同じく表と裏でデザインが異なる両面透かし彫り。華やかかつ豪勢な孔雀の姿があしらわれています。

(写真提供:元離宮二条城)

黒書院

大広間が多人数用とすれば、黒書院はもっと少人数用の応接間。将軍と親藩や譜代大名といった、関ヶ原の合戦以前から徳川に仕える近臣たちが内輪で使うための部屋です。作りは大広間と同じ書院造になっていますが規模は小さめです。しかし部屋の飾りはより技巧的になり、描かれている襖絵もより装飾的で優美なものになっています。こちらは探幽の弟、尚信の作品です。


(写真提供:元離宮二条城)

《白書院》

二の丸の最奥にあたる白書院は将軍の居間・寝室として用いられました。内部装飾もプライベートルームにふさわしく、他の部屋に比べてぐっと渋めの落ち着いた雰囲気になっており、絵画は水墨画で統一されています。

☆「うぐいす張り」
二の丸御殿の廊下を歩いていると、キュッキュッ、と高い音がします。これが「うぐいす張り」。これは床下に特殊な鎹(かすがい)を打ち込んで作った仕掛けで、上から重みが掛かると鎹が上下に動いて音が鳴るようになっています。これは人が廊下を歩いていればすぐに気づくことができるように考慮した仕掛けで、来客はもちろん万一何者かが忍び込んできたときにも気づきやすいようにという警備の意味もあります。

☆ 障壁画をもっと間近で見たい!-展示・収蔵館-

(写真提供:元離宮二条城)

二の丸御殿には約3,000面以上の障壁画が残されており、うち1,016面が重要文化財指定を受けています。大半は1626年に家光が二条城を改修させた際に、狩野探幽率いる狩野派の絵師たちが描いたものです。絢爛豪華な金碧障壁画の数々は、桃山から江戸初期にかけての美を今に示す貴重なものです。城が建てられた17世紀から400年もの間、焼失することもなく伝えられたことはまさに奇跡的といえます。しかしそのまま建物に設置しておくとどうしても傷みが出てしまうため、1972年(昭和47年)から精密な模写によるレプリカとの入れ替えが行われるようになりました。原画は現在、隣接する展示収蔵館内で保管されており、年4回程度入れ替えて展示が行われています。こちらではガラス越しではありますが、実際に手に触れられるほどの距離でじっくりと障壁画の実物を鑑賞することができます。また、展示室は実際の二の丸御殿の部屋と同じ配置で障壁画が展示できるようになっているので、画面や空間の構成も楽しむことができます。

二の丸庭園

二条城には、作られた時代やデザインも異なる庭園が3つあります。二の丸庭園は江戸時代に二条城が出来た当時からの庭園で、現在は国の特別名勝に指定されています。作庭したのは小堀遠州といわれ、建物に合わせて作庭された庭のため、二の丸御殿のどこから見てもバランスよく鑑賞できるように設計されています。また、色の異なる大小さまざまな石をまるで植木のように縦にしていくつも並べて作られた景色はそれまでの庭園とはかなり異なったデザインで、広々としつつも武家の庭らしい力強さも感じさせます。池には中央の蓬莱島と左右の鶴島・亀島の3つの島が配されていますが、これはどの角度から見ても「鶴」「亀」の形に見えるように石が組み合わされているそう。いろいろな方向で眺めてみたくなる庭です。

池の南側には芝生の広がるエリアがありますが、ここは1626年、後水尾天皇が行幸された際に専用の御殿が建てられた場所だそうです。作庭当時は、二の丸御殿の黒書院と大広間、そして行幸御殿の三つの方向の景色を計算して設計されていたといいます。しかし行幸の翌年から随時建物は撤去されてしまったため、その意図も薄れてしまいました。家光が上洛してから二条城に将軍が訪れたのは、200年以上も後の14代家茂のときで、その間は将軍は不在だったため、庭の手入れも行き届かなくなっていたようです。最後の将軍、15代慶喜が訪れた際には樹木はほとんどなく、池も枯れ果ててまるで枯山水の庭のようになっていたといいます。庭が改めて現在のように整備されたのは、二条城が宮内省の所管となり天皇の離宮となってからのことでした。

元離宮二条城

所在地

〒604-8301
京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

開城時間

8:45~17:00(入城は16:00まで)

休館日

毎年12月・1月・7月・8月の毎週火曜日 (祝日の場合は翌日休城)/年末年始(12/26-1/4)

お問い合わせ

TEL:075-841-0096
FAX:075-802-6181

公式サイト

http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/

■料金

一般:600円(団体500円)
中学生・高校生:350円
小学生:200円

■交通のご案内

【市バス】 9、12、50、101号系統にて「二条城前」下車すぐ
【地下鉄】東西線「二条城前」駅下車すぐ
※専用駐車場・駐輪場有り(有料)。お問合せは二条城駐車場(075-801-5564)へ。




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