Exhibitions展覧会
時空を超えた『顔』合わせ展 -中村 正義・木下 晋-
若くして日展で活躍しながら日本画壇の権威に反旗を翻し、日本画の革新を目指す「風雲児・異端児」と呼ばれた画家・中村正義。中村の誕生から23年後に生を受け、極貧の中から独自の鉛筆画の世界を確立した木下晋。世代の異なる二人の画家の作品を同時に紹介する展覧会です。
中村は1977年に亡くなっており、生前木下さん自身と相まみえることはありませんでした。そんな二人ですが、生を凝視し、人の顔を描くという共通点で作家として通底するものがあります。
中村正義の長女倫子さん、その同級生である城島徹さんと木下晋さん…。人と人のつながりの中から「時空を超えた『顔』合わせ展」が実現しました。二人の「異端児」の出会いをどうぞお楽しみ下さい。
中村正義
なかむら・まさよし。1924年愛知県豊橋市生まれ。日本画家・中村岳陵に師事し、1946年、22歳で日展初入選。以降入選・特選を重ね、1960年には36歳の若さで新日展の審査員となる。
しかし1961年に中村岳陵の画塾「蒼野社」を辞め、日展を脱退。洋画やポップアートの表現をを取り入れた前衛的な画風の作品を発表する。1964年には映画『怪談』(小林正樹監督)のために《源平海戦絵巻》5部作(東京国立近代美術館蔵)を制作。映画用の作品や雑誌表紙など外部の仕事も手掛けた。また、この頃から東洲斎写楽の研究を始め、1970年にはその成果である『写楽』(ノーベル書房)を出版している。
1974年、旧態依然とした日本画壇への抵抗を掲げる美術団体「从(ひとひと)会」を結成し第1回从展を開催。翌75年には東京展市民会議(現・東京展美術協会)を創設し事務局長として奔走し第1回東京展(現・都美術展)を開催する。
1977年、肺がんのため死去。享年52歳。没後も人気は衰えず、1980年には回顧展「異端の天才画家 中村正義展」(豊橋市美術博物館)が開催される。1988年には娘・中村倫子氏が中心となり神奈川県川崎市の自宅を「中村正義の美術館」としてオープン。その後も回顧展やテレビでの特集番組が放送されるなど、近年も注目を集め続けている。
木下晋
きのした・すすむ。1947年富山県生まれ。
1961年、中学の美術教師の紹介で彫刻家の大瀧直平の市民解放の研究室に入り彫刻を学ぶ。1964年、17歳で第1作《起つ》を自由美術協会に出品・入選を果たし注目を集める。経済的理由から高校を中退し看板製作会社に住み込みで働き、その傍らで絵を描き続けた。
1969年、銀座・村松画廊で初個展を開催。この際に美術評論家・瀧口修造らと出会い、日本や海外での作品発表の機会を得る。1981年、アメリカに進出するも自身の作品の売り込みに失敗。帰国後に鉛筆によるモノクローム画の制作を開始する。実母や「最後の瞽女(ごぜ/盲目の女旅芸人)」と呼ばれた小林ハル、ハンセン病回復者の詩人・桜井哲夫などをモデルとした作品を発表。鉛筆による多彩な濃淡を駆使した精緻な表現、モノクロームの陰影を克明に描いた圧倒的な表現力で近代絵画に新たな境地を拓いた。
制作活動の傍ら、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻非常勤講師(~2008)、武蔵野美術大学造形学部油絵科講師、金沢美術工芸大学大学院博士課程専任教授などを歴任し教鞭を執る。また、2019年には自伝『いのちを刻む―鉛筆画の鬼才、木下晋 自伝』を刊行し話題となった。
個展、グループ展、瀬戸内国際芸術祭、ヨコハマトリエンナーレ他出展多数。
展覧会概要
期間 | 2025/06/17(火) 〜 2025/06/22(日) |
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会場・開催場所 |
ギャラリーヒルゲート
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時間 | 12:00~19:00(最終日は17:00まで) |
料金 | 無料 |
注意事項等 | 状況により、やむを得ず予定が変更となる場合がございます。最新情報はギャラリーのホームページをご確認ください。 |
お問い合わせ |
TEL:075-231-3702075-231-3702
FAX:075-231-3750 |
hillgatekyoto@gmail.com | |
ホームページ | http://www.hillgate.jp/ |
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