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豊国神社

豊国神社とは

東山七条周辺は、多くの寺院や京都国立博物館などの見どころが集まっているエリア。実はこの周辺は、天下人・豊臣秀吉に縁の深い場所でもあります。1km四方ほどの中に、豊臣家にまつわる神社や寺院、史跡などが点在しています。
そのうちの一つが、今回ご紹介する豊国神社。
京都国立博物館の隣、大和大路を少し北へ行ったところに鎮座しています。
豊国神社は、その名前からイメージされる通り、豊臣秀吉を祭神としてお祀りしている神社。京都の人々には、「ほうこくさん」の名前の方が親しまれているかもしれません。

豊国神社の歴史

秀吉が亡くなった翌年の1599年(慶長4年)、彼はその遺言により東山の阿弥陀ヶ峰の山頂に葬られました。その中腹に秀吉を神様として祀る神社が創建されたのが、豊国神社の始まり。そして、後陽成天皇から「豊国大明神」の神号を賜り、盛大な鎮座祭も行われたのだそうです。

しかし1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で豊臣家は滅亡。その後政権を握った徳川家康の命で神号は廃され、神社の社領は幕府が没収。社殿はそのまま放置され、朽ちるに任せた状態になってしまっていました。
また、神社への参道も道の真ん中に別のところにあった神社(新日吉神社(現在の新日吉神宮))をわざわざ移設して塞がれてしまい、参拝さえ出来ない状態に。そこまで秀吉を忌み嫌ったのかと、幕府の徹底振りにも驚かされます。とにかく、江戸時代は豊国神社にとって不遇としか言いようのない時代でした。

その後、時は流れて1868年(明治元年)。明治維新により250年近く続いた江戸幕府は倒れ、日本は新しい時代を迎えていました。その折に明治天皇が大阪へ行幸され、神社の復興と再建を命じます。明治天皇は秀吉を「天下統一を果たしたが、幕府を作らず天皇を尊重した人物」と再評価したのです。
そして1880年(明治13年)現在の場所に社殿が再建されました。

実は当初、豊国神社は大坂城の城外に造営が予定されていたそうです。しかしそれを知った京都の人々が、元々京都に墓も神社もあったのだから、元の場所に作るべきだ、と京都での再建を熱心に訴えました。そこで京都には本社、そして大阪には別社が建てられることになりました。大阪にも同じ名前の神社があるのはこのためです。

現在神社がある場所は、かつて神社に隣接していた方広寺の境内であった場所。そこには、秀吉が奈良の大仏に倣って造営を命じた大仏と大仏殿が建てられていました。
大仏の大きさはなんと6丈(約18m)。現存する奈良の大仏は約14mですから、それよりも大きな大仏様だったことになります。巨大な大仏殿と「京の大仏さん」の姿は、洛中洛外図などにも描かれるなど、京都の名所のひとつとして人々にはとても身近な存在だったようです。

入口の鳥居に掲げられている、後陽成天皇宸筆による『豊国大明神』の勅額。創建時に作られたオリジナルは唐門の上にあります。

こちらは唐門奥の拝殿。奥に本殿、その隣(右側)には秀吉の正妻・北政所(お寧)を祀る貞照(さだてる)神社があります。当時には珍しい恋愛結婚で生涯夫婦仲が良かったという二人。それにあやかり、夫婦円満を祈ってここで結婚式を挙げる方も多いそうです。

唐門の扉。今では木目が見えて渋い色合いですが、昔はこちらも全面漆塗り+極彩色+金箔張りだったそう。


境内の遺構・名品たち

《五輪塔(馬塚)》
神社の奥にひっそりと建っている五輪塔(馬塚)。神社が廃されていた間は、これが代わりに拝まれていたそうです。塔には秀吉の名前は無く、代わりに梵字と「元和元年八月十八日」の祥月命日の日付が刻まれているだけ。表立って秀吉の名を出すことも憚られた、当時の状況が伺えます。
一般的には「馬塚」の名前で知られていますが、これはたまたま塔の近くの地名が「馬町
」だったことに因むもの。

《唐門》
これぞ豊国神社のシンボル・正面で参拝客を出迎えてくれる唐門。西本願寺・大徳寺の門と並び、国宝三唐門に数えられる見事な門は桃山時代の作という貴重なものです。かつては秀吉の居城のひとつ・伏見城の城門だったと伝えられています。伏見城が廃された後は二条城に移され、さらに南禅寺の塔頭・金地院へ、そして明治に入ってから豊国神社に移築されたのでした。
まさに紆余曲折の道程を辿ってきたわけですが、日本ではこのように昔の建物の一部を移築することはよく行われていたことでした。古い建物も丸ごと再利用する、ある意味究極の「エコ」精神とも言えます。
門は総欅(けやき)作りで、扉の両面や屋根下の欄間には名工・左甚五郎による大迫力の彫り物が施されています。造営当初は門全体に黒く漆が塗られ、彫刻も極彩色、あちこちが金箔で飾られていたそうです。まさに黄金好き・派手好きの秀吉好み。金箔は一部少しだけ残っているところもあるので、目を凝らすと見つけられるかもしれませんよ。

・扉には「鯉の滝登り」の彫刻があります。これは中国の故事にある「登竜門」を示し、「立身出世」を意味しています。秀吉を祀る神社らしいですね。この門を潜ると出世できると言われていますが、通常行けるのは門の前まで。ご祈祷の時か、正月三が日は潜れるそうなので、ご利益にあやかりたい方はその際に。

・正面の欄間にあしらわれている鶴は「目無しの鶴」と呼ばれ、その名の通り目玉がありません。これは、あまりにこの鶴の出来が良かったので、目を入れて完成させてしまうと本当の鶴になって逃げられてしまうと考えられたため。
幸い、そのお陰か今も脱走はしていないようです。

《石灯篭(慶長灯篭)》
唐門の左右にある古い石灯篭。これは秀吉に仕えた武将達から寄進されたもの。灯篭の柱にそれを寄進した人の名前が刻まれています。(特に秀吉の側室・淀殿の側近だった大野治長の名前は鮮明に残っています)かつては大山崎の油座の神人たちが毎夜灯篭に灯を灯し、境内を明るく照らしていたそうです。当初は56基ありましたが、現存は8基。


<次回に続く(次回は豊国神社の宝物館をご紹介!)>

「五輪塔」(馬塚)。宝物館の裏手、境内の隅に隠れるように建っています。

国宝「豊国神社唐門」

因みにこちらはなかなか普段は見る機会の少ない唐門の扉裏面。大きく流水と竹の文様が彫られています。表には勇壮な鯉の彫り物が。

「石灯篭」(慶長灯篭)


豊国神社

豊国神社

所在地

〒605-0931 京都府京都市東山区大和大路正面茶屋町530

時間

宝物館は9:00~17:00(16:30受付終了)

休館

無休

お問い合わせ

電話番号: 075-561-3802

FAX番号: 075-531-1643

■料金

大人   通常 300円 団体 240円
大学生・高校生 通常 200円 団体 160円
中学生・小学生 通常 100円 団体 80円

※団体割引は30人以上から適応します。

■交通のご案内

・京阪電車   「七条」駅下車、徒歩約10分
・京都市バス 「博物館三十三間堂前」下車 徒歩約5分
・駐車場    バス2台分、自家用車15台分 それぞれ無料


協力:京博連



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