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  4. 第2回 藤森神社の境内と参集殿(宝物館)

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藤森神社

境内の遺構とゆかりの人々

本殿と拝殿、末社


現在の本殿と拝殿は、正徳二年(1712)に、当時の中御門天皇が父の御水尾天皇の遺言により、宮中にあった建物を移築させたもの。本殿は国の重要文化財に指定されています。
また本殿のうしろ、東側には八幡宮、西にある大将軍社があります。この二つは共に室町時代の永享十年(1438)、将軍・足利義教が平安初期に造営された祠を再建したものと伝えられます。京都では応仁の乱(1467)で大半の建物が焼失してしまっているため、応仁の乱以前に建てられた建物は数少なく、非常に貴重な存在といえます。こちらも重要文化財に指定されています。
他にも境内には七宮社、天満宮、祖霊社といった末社が幾つも建てられています。

絵馬舎


参集殿(宝物館)の前には、大きな絵馬舎があります。絵馬舎とは、その名の通り神社に奉納された絵馬を飾っておくところです。
この絵馬舎は元々は拝殿として使われていたものなのですが、前述の通り宮中から建物を新たに賜ったため、移築して再利用されたという経緯があります。
ここには、慶長18年(1613)に奉納された銘の入った、黒馬・白馬の大きな絵馬が納められています。これは京都にある絵馬の中でも1,2を争う特に古いものだそう。現在ではほとんど色褪せて輪郭がわかる程度になってしまっていますが、神社の歴史を感じさせます。現在も大きな絵馬を神社に奉納する人がいらっしゃるようで、比較的新しいものも見受けられます。中には、競馬で活躍した名馬が描かれた面白い絵馬もあります。現在は競馬関係者も多く参拝に訪れているという藤森神社ならではの一品と言えるのではないでしょうか。

歴史上の人物と藤森神社の関わり


藤森神社は、その長い歴史と相まって、縁ある歴史上の人物も数多く存在します。神社の遺構には、そんな人物とのかかわりを感じさせるものも幾つか見ることができます。
例えば、神社に欠かせない、お清めの手水鉢。この台座に使われている石は、元々宇治川近くにある「十三重の石塔」に使われていたもので、石川五右衛門が取り外して神社に奉納したもの、と伝えられているそうです。

また、伏見といえば幕末の歴史とも関わりの深い土地ですが、幕末に活躍した新撰組の局長・近藤勇とも縁が有ります。
京都滞在中、近藤は腰痛を患って苦しんでいました。そんな時に藤森神社の旗塚にあるイチイの切り株「いちのきさん」にお参りすると腰痛に効く、という話を耳にし、度々参拝に訪れていたのだといいます。

また、神社の正面にある石鳥居には、幕末までは御水尾天皇の筆による「藤森大明神」の額が掲げられていました。天皇の書いたものですから、そのまま通っては失礼にあたるとして、ここを通る人は、大名行列でも一度馬に乗った人は降りて、槍を持った人は槍を下げて通っていました。しかし幕末の動乱の切羽詰った時期にそんな悠長なことはしていられない、と近藤はこの額を外してしまい、持ち去ってしまったといいます。実際、現在も鳥居には額は取り付けられないままになっています。

軍隊と藤森神社


明治維新の頃にも戦場となった伏見ですが、その後、第二次大戦前にはここに旧陸軍の歩兵連隊が置かれていました。ちょうど藤森神社のすぐ東隣、京都教育大学の敷地には、旧陸軍歩兵第9連隊の本部があり、その北側には陸軍病院(現在の国立病院)や砲兵隊、騎兵連隊、神社から出て少し街道を行ったところには第16師団司令部(現在の聖母女学院)が置かれていたそうです。他にも周辺には兵器を納めた倉庫や訓練施設なども集中していたといいます。
武神を多く祀り皇室とも縁が深く、勝運の神様とされてきた藤森神社には、度々出陣を前にした兵士たちが、勝利と武運を祈って御参りに訪れていたほか、訓練の合間に人と語り合う憩いの場にもなっていたそうです。その影響か、戦後間もない頃は神社も影響を受け、不遇な時代をすごされたこともあったといいます。
境内の中には、歩兵連隊のことを示す石碑や戦没者の慰霊碑なども残されています。

絵馬舎(写真は藤森神社HPより)

正門(南門)の石鳥居(写真は藤森神社HPより)
確かに、神社の名前を書いた額がありません。

「旗塚」(写真は藤森神社HPより)
神功皇后が旗を立てて神を祀ったという、藤森神社発祥の地。石台の上に、大きなイチイの切り株がありますが、これが「いちのきさん」です。

旗塚横にある「不二の水」。(写真は藤森神社HPより)
酒蔵も多く、「水の町」としても知られる伏見の中でも、名水に数えられる御神水です。地下数百メートルから湧き出ているそうで、一度飲むと他の水が飲めなくなるくらい美味しいとか。近所の方がよく水汲みにいらっしゃるそうで、取材中もペットボトルで水汲みをする人の姿を見かけました。


藤森神社の宝物館

藤森神社の宝物殿(参集殿)は、平成元(1989)年3月に建てられた、比較的新しい施設です。

この宝物殿の面白いところは、「神社が自ら集めた宝物」を展示公開している点。
もちろん、神社に以前より伝わっている宝物もありますが、展示品の中には宮司さんを中心に神社側で自ら探し、収集してきたという藤森神社に関係する品々も数多く含まれています。

元々武神が多く祀られている戦いや勝負事に関わる神社であることもあってか、そのコレクションは武具類が中心。鎧や刀はもちろん、暗器や重火器類など珍しいものも含まれ、非常に多彩なラインナップになっています。

また、他にも神社の祭礼の様子を描いた絵巻など神社自体に関わるものの他、伏見の古地図、ちょうど伏見を舞台に起きた「鳥羽伏見の戦い」にまつわる品もあり、藤森神社の鎮座するその土地の歴史を感じさせてくれます。

参集殿(宝物殿)。
中に入ってすぐのホールには、神社に参拝した競馬騎手のサインや参拝の様子の写真などが飾られています。中にはあの武豊騎手などのものも!

展示室内はこんな感じ。とにかく様々な品がたくさん、ぎっしり詰まっています。まさしく「宝物殿」。
大半は現在の宮司さんの代で収集したものだそうで、その努力に感服してしまいます。


馬の博物館

宝物殿には、通常の宝物展示室のほかに、「馬の博物館」というコーナーも併設されています。これは藤森神社が馬と関わりの深い神社であることになぞらえて、神社の藤森宮司が個人的に収集されてきた、馬に関する品のコレクション。行く先々で求めたという世界各地の馬のミニチュアや置物、郷土玩具などが、ケース内にぎっしりと収められています。

元々は藤森宮司があくまで趣味の一貫として集め始めたそうなのですが、「気がついたらこんな数になってしまいました」とのこと。一部奉納されたものも含まれていますが、基本的にはご自身で収集されたものです。現在展示室に置かれているものもほんの一部だそうで、展示しきれないものは自室にまだたくさんあるのだとか…。

お聞きしたところ、地元の伝統工芸品である伏見人形のほか、滋賀の小幡人形、江戸張子といった日本のものをはじめ、中国やビルマ(ミャンマー)、ネパール、ペルー、タイ、ベトナムといったアジア圏の品々、ヨーロッパのものも数多く所蔵されています。実は全体的に見ると日本のものより海外のものの方が多いようです。

この「馬のコレクション」のきっかけとなったのは、素朴な民芸品の、木製の馬。
「どこかの山の方で買ったのですが、どこかは覚えていないんです。最初は飽きて暫く放っていたのですが、ある時急に思い出しまして(宮司)」そこで、同じようなものを一つ、二つと増やしていくうちに、これだけの数になってしまった、とのこと。

特別貴重なもの、高価なものを選んで集めている、というわけでもないのだそうですが、ミャンマーのマリオネットの馬や、中国の玉製の馬など、日本ではなかなかお目にかかれないような珍しいものも含まれています。
また、「馬」と一口にいっても顔つきや形といった表現には各国の個性がそれぞれに表れているのも面白いところ。
これだけの数、「馬」に特化したコレクションは、最早一種の文化史資料、ともいえるかもしれません。

これが「馬の博物館」。壁の両側にも、所狭しと「馬」が並んでいます。一応、真ん中から右が日本、左側が海外(中国・東南アジア・ヨーロッパなど)のものに大まかに分かれているとのこと。

これがコレクション第一号になった日本の馬の民芸品。漢字の「馬」の成り立ちを思わせるようなデザインが印象的な一品です。

中国(一番奥の玉製のもの)、ベトナム、ネパール、ペルー…アジア圏から南米、ヨーロッパまで世界各地の「馬」が揃っています。同じ「馬」がモチーフなのに雰囲気が全然違うのがとてもユニーク。


藤森神社

藤森神社

所在地

〒612-0864
京都市伏見区深草鳥居崎町609
http://www.fujinomorijinjya.or.jp/

時間

9:00~16:00

休館

5月1日~5日(藤森祭期間中)

お問い合わせ

電話番号: 075-641-1045

FAX番号: 075-642-6231

■料金

境内:無料(紫陽花苑は300円)
宝物館:志納金

■交通のご案内

【JR】
JR「京都」駅より奈良線「藤森」駅下車、徒歩6分

【京阪電車】
「墨染」駅下車 徒歩約5分

【市バス】
南6系統にて「藤森神社前」下車


協力:京博連



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