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※この記事は掲載時(2009年9月)の情報に基づきます。

特集記事

京都MUSEUM紀行。第二回【河井寛次郎記念館】

京都MUSEUM紀行。vol2 河井寛次郎記念館

ごめんください、お邪魔します

訪れるその度に、思わず挨拶の言葉が口をついてしまう。
そんなミュージアムがあります。

清水寺に程近い、東山五条。一歩そこを反れて路地に入ると、そこは静かな住宅街になっています。道は車一台がやっと通り抜けられるほど。道沿いに民家が立ち並び、町家らしい建物もあちこちに。時折、玄関先を掃除していたり、打ち水をしたり、といった人の姿もあり、いかにも京都らしい生活感が漂っています。
そんな中に溶け込むようにして建っているのが、今回ご紹介する「河井寛次郎記念館」です。

外観は周辺の建物に比べると少し大きな町家。正面には黒塗りの格子が建てつけられており、その下には犬矢来。入り口も丁度人一人が通れる程度の、狭く小さなつくりになっています。あまりに周囲の風景に溶け込みすぎていて、格子にかけられた看板を見なければミュージアムだとは気がつかずに素通りしてしまいそうです。

ガラガラと音を立てて引き戸を開けると、懐かしい木の香りと、コチコチと刻まれる時計の音が迎えてくれました。

ここは、大正から昭和の時代に活躍した陶芸作家・河井寛次郎(1890-1966)が実際に暮らしていた自宅兼工房だったところ。 昭和12年に、寛次郎自らが設計を手がけ、彼の故郷である島根県・安来からお兄さんを棟梁とする大工さんたちを迎えて建てられました。 京町家風の外観に対して、中はむしろ重厚なつくりで、どっしりとした太い梁や柱には、山里の古民家のような風情を感じます。 しかしそれでいて、隅々に日の光が差し込み、暗い印象は感じません。土間を抜けたところにある客間からはちょうど、中庭を眺めることができます。ぽかぽかした陽気の日に縁側にでもいたら、思わずうとうとと居眠りしてしまいそう。

二階にある机と椅子。寛次郎さんは実際にここで書き物をしたり読書をしたりしていました。勿論座って、彼と同じ視点を  味わうこともできます。

家具や調度類のデザインも彼自身が手がけたもので、さりげなく洒落た装飾がされた家具や窓枠などに、寛次郎のこだわりを見ることができます。そこかしこには幾つも椅子が置かれており、一階の吹き抜け下には囲炉裏が設けられています。まさにこのしつらいは誰かが訪ねて来るのを前提にしているのが、素人目にも感じ取れます。

壁をふと見ると、写真の中から寛次郎さんがこちらに微笑んでいました。

しかし、いかにも「作品を展示しています」といったようなところは殆どみられません。展示ケースに置かれているものもありますが、作品の殆どは、部屋の中の彼方此方にあくまで無造作に置かれていて、説明書きもありません。 陶器はもちろん、木彫やブロンズ像、書など、寛次郎の手がけた作品は実に個性的で多種多様ですが、それら全てがなんとも自然に、空間の一部として、建物の中の情景に溶け込んでいるのです。決して、派手な自己主張をすることなく。

河井寛次郎という人は、自分の作ったものにサインや銘をいれない作家でした。また、作品を「美術品」として仰々しく扱われるのも好まなかったのだそうです。 それは、美しいものは決して特別なものではない、という考えからのことでした。美しいものは、特別な人だけが生み出せるものではなく、無名の職人の手仕事にも宿っている。空間や環境、日々の暮らしそのものが美しさの源。 作品の扱われ方にも確かに、この思いは表れています。

「すきなものの中には必ず私はいる」

寛次郎の言葉の中に、こんな一文があるそうです。 飴色に光る床から伝わる木の温もりも、中庭から吹き込む風の感触も、穏やかに過ぎていく時間も。 皆、いつか河井寛次郎という人が、ここで過ごす人と同じように、心地よく感じ、そして愛していたものなのでしょう。この家中にあるものが、寛次郎のすきなもの。そう考えると、この「家」そのものが、「寛次郎」その人であるように思えてきました。

寛次郎さんに、会いに行く。ここを訪れる際は、むしろそう言った方がぴったりのような気がします。 今にも、どこからか「やあ、いらっしゃい」、と声をかけてもらえそう。 そんな、人の息遣いやぬくもりが感じられる、まさに「生きている」美術館です。

河井寛次郎氏作品

河井寛次郎(かわい・かんじろう/1890-1966)

島根県安来町(現・安来市)に、大工棟梁の次男として生まれる。 中学時代に陶工を志し、東京高等工業学校(現・東京工業大学)窒業科に進む。

その後、京都市立陶磁器試験場に勤務し、研究制作に励む。1920年に結婚し、現在河井寛次郎記念館のある京都市五条坂鐘鋳町に住居と窯を得、 以後そこを拠点に、陶磁器のほか木彫や金工、書など様々な創作活動に勤しんだ。

また、柳宗悦や濱田庄司らと共に、日常の暮らしの品から 「用の美」を見出す「民藝運動」の中心を担ったことでも知られる。

参考文献

河井寛次郎記念館

河井寛次郎記念館

河井寛次郎記念館
〒605-0875
京都市東山区五条坂鐘鋳町569
公式ホームページ

施設の概要はこちら

学芸員より

ここは記念館ではありますが、「河井寛次郎のことを知っていただこう」というよりは、お越し下さる方々に時間的・空間的な何かが提供できていれば良い、と考えています。 これからも「見ていただく場所」というよりは、「過ごしていただく場所」であり続けたい、と願っています。
(コメント:鷺 珠江 学芸員)



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