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2011.11.08(Tue)
はじめまして
はじめまして。
これから、「アートにこころを ゆるめ~る」の連載をはじめます。
アーティスト・インタビューの報告と、表現活動をめぐってのゆるやかな考察をしていきます。たまに横道にそれて雑談もします。こころの専門家、アートは初心者という立場から、表現するこころについて考え、心理学とアートのあいだをつなぐ試みをしていきたいと思っています。
今回は、その導入編として、なぜこの「ゆるめ~る」をはじめようと思うようになったか、少しお話してみます。
アートとは何か。わたしはまだ自分なりの定義をみつけていません。ここでは仮に、なるべく幅広く、いろいろな表現活動をアートととらえてみたいと思います。
表現活動とは、限られた一部の人だけのものではなく、誰にとっても大切な意味を持ちうる、人間の生き方の次元に関わる営みだと考えます。インタビューでは、アートを仕事としているプロの方のほか、プロではないけどアートにまつわる活動をされている方も、取り上げます。関西を中心に、ときにはもっと遠くにも出かけていこうと思います。
わたし自身は、幼いころから音楽を続けてきました。ピアノのレッスンに行くたびに、弾き始めは緊張して固くなってしまい、先生から「次は、もっと思い切りやってごらん」といつも言われるようなこどもでした。のびのびと自由に表現する人の姿をみて、自分もいつかあんなふうになりたいなぁと、憧れていました。
心理カウンセラーになるための修業中に師匠からよく言われたのも、「自分が出てない」「あんた自身に遊びがない」ということでした。そこを、大人になって年をとるにつれて、一つずつゆるめて、一歩ずつ表現に近づいていくことを、音楽やカウンセリングやほかの表現活動を通してずっとやってきた気がします。
不自由だったこどもの頃に比べれば、確かに今は、格段にできることがたくさん増えました。それでも表現の場に立つと、まだなにか、やっぱり固く締まったままのネジがあって、それをゆるめたいなぁと切実に感じます。
そんな自分の体験から、「ゆるめる」をキーワードのひとつとして、アーティストの方々に、どんなふうに表現活動のことをとらえたり感じたりしているのか、表現に没頭するようになったきっかけはどんなことだったかなど、体験談をうかがってみたいと思うようになりました。
インタビューとその報告を積み重ねていくなかで、なにか、表現者にとって勇気づけられたり参考になったりすることを見つけていきたい、そして、表現の手前で立ち止まっている人たちが読んで動かされて、自分も表現したいという気持ちが自然とわき上がってくるようなことが起こればいいなぁ、と想像しています。
心理カウンセリングとは、「今、ここ」という瞬間に自分がなにを感じているのかを味わって、ことばを紡いでいく場です。ことばだけでなく、絵や造形といったイメージ表現がとられることもあります。表現の源となる、こころの動きが生まれてくる場に立ち会い、見つめ、関わるなかで、表現することのわくわく感や迫力を生身に感じてきました。
しかし、まわりを見渡してみると、どこか、表現を見る側と表現する側との分離している状況がある気がします。かつて表現したときに寄せられた他者の心ない発言に傷ついて、表現することをやめてしまった、という話もときどき耳にします。残念だなと感じます。
こんなことを考えながら、わたしは、映画『Shall we ダンス?』のなかで、役所広司さんの演じる主人公「杉山さん」を思い出します。表現する側へと踏み込む前の戸惑い。ダンスに純粋に向き合うときの、それまでとは全く違う快活な表情。その一方で、これまでの自分と新しい自分との齟齬(そご)がもたらされたりもして。表現活動にともなう悲喜交々(こもごも)、いろんな側面について考えさせられます。
表現をすることは、表現者本人にとって、ただ単に楽しいという以上に、自分を生成する大事な一部分として、それを失ってしまったら自分が自分じゃなくなる、自分にとってもはや不可欠であるという、ある種の切実さをともなっているのではないでしょうか。この切実さの感覚は、表現者間ではおそらく、ことばにするまでもなく自明なことである一方で、世間の人には言ってもよくわかってもらえないだろうと感じられることでもあります。
そういう、表現することの必要性や意味とはなにか。微妙でとてもことばにし難いことですが、とても大事なテーマだと感じています。「ゆるめ~る」を通じて心理学の立場から取り組み、ことばに落としこんで考えてみたいと思っています。
芸術表現に触れての感動や体験を、必ずしもことばにする必要はないのかもしれません。でもやっぱり、わたしはそれをことばでとらえなおしてみたいです。両面があってこそ全体がわかる、一粒で二度おいしいという感じでしょうか。それに、ことばにすることでクリアにものが見えてきたり、誰かとの体験の共有ができたりします。大事なことを見失わないよう記憶に刻みこんだり、忘れてもまたいつか立ち返れたりするかもしれないからです。




