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京都で遊ぼうART スタッフブログ

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「投稿レポート」アーカイブ

実際の展覧会の様子をご紹介している展覧会レポート。
今回はライターのdenさんに、こちらの展覧会の感想レポートをお寄せいただきました!
どうもありがとうございます!
(denさん本当に精力的です...!)

三野 優子 写真展 「カントリーエレベーター」アートスペース虹
(2011/2/1-2/6)


お米とお箸の恋物語の中身...

flyer_mino-yuko2011.jpg © Yuko-Mino
三野さんの対象はあっけらかん。

前回は寺の入り口ばかり撮ったもの。
そのお寺も総門のあるような大きなものではなく、三野さんの出身である守山のお寺。
いわばご近所様のお寺。
過去ログはこちら(denさんの個人サイト内)

さて、ギャラリーサイトの告知を見ると、1年ぶりの三野さんの個展。

やはり......お眼鏡にかなったのはどうやらカントリーエレベーター。
守山の田んぼの中に立つこの建物をそう呼ぶとは知らなかった。

確かに良く見ると不思議な形をしている...が、とてもシンプル。
サイロのような筒状の構造物の上に、なんとものどかに家がのっかっている。
これは明らかにその機能から形成されたデザイン(?)なのだが、一切の情緒性はそこに無いのに、不思議となごむのは何故か?

三野さんはまずこの「お米とお箸の恋物語」のロゴが気になった。
書かれた建物とのわずかなギャップ。

「カントリーエレベーター」を調べてみる。

JA西春日井のサイトにはなんと「カントリーエレベーター探検隊」なるコーナーもあって
コレさえ見れば完璧、"カンエレ"のオーソリーティまちがいなしである。

で、中身の説明等はこの際そちらのサイトを見てもらうとして、
要は三野さんの心象(実は像はまだ映ってはいないが)が外から中へ徐々に移行していくことにある。

ここに僕などは極めて男性的な(差別的な意味ではなく)"萌え"を感じるのだがいかがだろうか。

内部への関心が"プチ工場萌え"へとスライドしていくのは本人が望む心象=被写体としての魅力、というとても健全な動機がそこにあるからだと思う。

この田んぼに立つ、関係者以外には立ち入ることなどない施設に撮らせて欲しいと申し出るのだが、もしそれが僕なら(例えば写真を趣味にしているオヤジだったら)まず怪訝な顔と態度で対応されて、快諾とはならない。手続きも面倒そうだ。

正直言って、「写真を専攻する大学生」であるという彼女が持つメリットの存分な活用。
ついついこういう風に考えてしまう。
だってこれさえ写真を撮るという行為のとっかかりであって、
撮りたいと願ってみても撮らせてくれない状況というのも充分に有り得るからだ。

おっと、肝心の写真のことに全然触れてない。
ひと気のない(撮影の時季はシーズンオフということで人も少ないらしい)構内の写真は全くといっていいほどに、やはり"あっけらかん"。

三野さんの性格も反映されているのかしらん。
社会科の教科書にあるような写真。あおりも演出も無い。
下に工程のキャプションがついていてもおかしくない。

でもじっと見ていると、人のいない、作業していない現場というものの気の抜けた、あるいは間の抜けた感はそれなりに味わいがあったりする。
三野さんも意図的に淡々と撮影しました、と語る。
ただ機能するためにだけあるそれらの器具や設備に、何らしかの哀愁を覚えるのはなぜだろう。

最初に写真自体のクオリティを問うてしまえば、これらの作品は途端に言葉を無くすかも知れない。
しかし「当事者にとっての当然」が「他者にとっての興味」であること、その愉しいギャップを若さというフィルターを通して表現したものと考えるならば、これらもほのかに色めきたってくる。
順序が逆な写真があってもいいではないか。

このインクジェット出力の向こう岸に何かが見える、
それが何かを示唆している、そのことが心にさざ波を立たせる、
それを探しにもっと迷い、ためらい、後ずさりしながら
これからも色んなものをたくさん撮って欲しいと思う。

文責:den 編集:京都で遊ぼうART

三野 優子 写真展 「カントリーエレベーター」は、2月6日(日)までの開催です。
モチーフを見つけ出し、そこに当事者が気づかない魅力を見つけ出してしまう、三野さんの確かなその「視点のセンス」。作品にはそれがぎゅっと詰まっているのですね。
気になった方は、アートスペース虹へ!
denさん、素敵な文章をありがとうございました!

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三野 優子 写真展 「カントリーエレベーター」

アートスペース虹

denさんのブログ「シッタカブリアンの午睡」
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任田 進一 個展 『SILENT DRIFT』neutron kyoto
(2011/1/25-2/13)


その痕跡は格別な幻惑を呼ぶ...

touda-shinichi.jpg © Shinichi-Tohda
これ、何でしょう?
と自分に問いながらギャラリーへ向かう。

この写真をギャラリーのサイトで初めて見た時の、ワクワクするような心の動き。
ああ、これがあるから愉しいのだ。
これがあるから幸せになれる。

さて、ギャラリーで作品の前に立つ。

これは写真の展覧会。
でも僕にはそうは見えない。 とても科学的な"証拠写真の公開"のように思える。
そう、ネイチャーやサイエンスの表紙になってもおかしくない、とても「精度の高い偶然」が生んだアートだと言える。

しかし仕掛けたのは作家自身であるから、この産物は限りなく確信的な想定の上に成り立っている。
だから作品そのものに観客への強制力を働かせる必要もない。
つまり美しいとか、鮮やかとか、楽しいとか、情緒的であるとか、日本的だとか...。
押し付けがましくない分、とてもクールである。

形が形を失うプロセスを仔細に見つめるカメラ、
そして何かが作用して形が出来上がるまでを冷静に見つめるカメラ。

それは形あるものはいつか消滅するという通念をどこかで立ち止まらせる、待ったをかけさせる。
これが水槽の中へ泥をスポイトで落とす時にできる土煙が正体であると聞いても、僕のアタマの中で想像するには相当なタイムラグが生じそうだ。

それは深海に棲息する謎の生物が踊っている軌跡のようにも見えたり、産卵の瞬間にも見える。
音にならない雄叫びのようにも...。

この世の中は見た事もないものであふれている。
人が一生のうちに見る事物など高が知れている。
写真という古典的な媒介は時間や場所を越えて僕たちをさまざまな世界へ連れて行ってくれる。
だが、街中のギャラリーで見るこの奇怪で繊細な現象は、格別な幻惑を見る者に及ぼす。

作家のオフィシャルサイトは確かに静かに語る。
だから見る方も静かに見る。

うーん、これはキレのある着想が印画紙の上で見事に結実した
オリジナルな出来事であり、もしかしたら事件なんだ、と
勝手に考えてみたりする。

是非見ていただきたい。
この世界はいつ見ても僕をとりこにする。

このモノトーンの静かなざわめき、粒立ちと対象的に、日の出直前の風景を撮ったシリーズにまた目が止まる。
サイトでご覧になってもわかるが、万物に平等な光はこうして姿を現し、こうして最初の挨拶をかわす。
その瞬間を待ち構えている作家もまた光の洗礼を受けながら、息を潜めている様子を想像したりする。

なんという崇高な世界だろう。
必見の展覧会である。


文責:den 編集:京都で遊ぼうART

任田 進一 個展 『SILENT DRIFT』は、2月13日(日)までの開催です。
一見、「これは本当に写真なのか?」と思ってしまうような、不思議で独特の世界観。
思わずゾクっとするような、静謐さと美しさが見るものを釘付けにします。
写真にはこんな表現の力もあるのだ、と感じさせてくれる展覧会です。
気になった、という方は是非、neutron kyotoへ!

denさん、素敵な文章をありがとうございました!

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任田 進一 個展 『SILENT DRIFT』

neutron kyoto

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小坂大毅展 "Proto"アートスペース虹
(2011/1/3-1/23)


死者の未来を託す"用"を成さない造形...

flyer_daiki-kobayashi.jpg © Daiki Kosaka
中国では古代より人間の魂は永遠であり、
亡くなった後も現実世界としっかり繋がっているという
輪廻転生をモットーとする日本人から見ると妙に生臭い死後観がある。

中国人の死後観が顕著に表れる例として
香港の葬儀の様子はしばしば紹介される。
あの紙製の供物のこと。
火葬の際に一緒に燃やすものだが、
その極彩色のキットはお札、マンション、家、車、飛行機やらで
最近では携帯電話やパソコンまであるという。
決定的に日本と違うのは逝った人にあの世で金持ちになって欲しいという感覚、
いや価値観と言ってもよい。

墓に納められた「俑」(よう)、特に兵馬俑などは有名だが
なんと新石器時代からこのような副葬品が作られていたという。
これを明器(めいき)と呼び、先の兵馬俑のような
人、動物、建物、飲食器などをかたどった
陶製、木製、青銅製で作られた。

これは香港で見受けられる中国人の葬儀と全く同じ意味を成す。
死者が生前に必要としたもの、あるいはあの世で必要となるものを
亡くなった後でも使えるようにしたものだ。
漢時代には特に陶磁器の明器が作られた。

小坂さんはこの副葬品をテーマに制作する。
一緒に供えることにしか意味性を求めない造形。
器物として何ら機能しない、いや機能うんぬんよりも
より深い意義をそこに込めていると言ってもよいと思う。

焼物の逸品に沢庵をのせて日常使いにする人は滅多にいない。
いつしか焼物は"景色"としてその芸術性をいかんなく発揮する。
陶芸は当初は生活器のために編み出された手段なのに
思えばその地位は限りなく上昇し、
ケースに納まった鑑賞物として鎮座まします、
高価なオブジェになりつつある。

しかし、それもこれも熟練の技と作家の器量あっての
当然な、そして尊大な付加価値の賜物だ。
意味性の剥奪という共通項が明器と現代の器物を
時代を越えて通じ合うという解釈は面白い。
単純な発想だがどちらにもそれなりの意味があり、
それこそが現代美術として陶芸を捉えるうえで
出(い)ずる着想ではないかと思う。

壺のような、瓶(かめ)のようなそのフォルムは
表面の表情と相まって本金を施した口、
内部に塗られた鮮やかな朱色が象徴的に中国をイメージさせる。
整然と配置されたそれらの中央に草を食む馬がいる。
これは兵馬俑のシンボルとして置かれたもの。
艶やかな表面に互いが映り込み、腰をかがめて見ると
また面白いシチュエーションが現れる。

一番奥に配置されたものは派手に欠けている。
これは搬入時に落として割れたもので、
その時もし、居合わせたならさぞ居心地が悪かったに違いない状況を
想像させる痕跡は不思議と何もない。
むしろ割れたことで得た効果を喜ぶべきだろう。
このことで整然としたレイアウトにドラマが生まれたと考えよう。
それも現代美術を観る愉しさではないか。


文責:den 編集:京都で遊ぼうART

小坂大毅展「Proto」は、今週末1月30日(日)までの開催です。
まだ大学を卒業したばかりの若手作家の小坂さんですが、そこで「副葬品」がテーマとは!
普通の陶芸、焼物とは違うニュアンスを秘めた、ユニークな内容になっているようです。
気になった方はお早めに足をお運び下さい!

denさん、素敵な文章をありがとうございました!

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