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「アートの楽しみ方」アーカイブ

京都国立博物館で開催される長谷川等伯没後400年にちなんだ特別展覧会「長谷川等伯」が近づいてきました。


この記事では長谷川等伯展をよりいっそう味わうことができるよう、展示品のなかでも等伯の代表作である「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」を簡単にご紹介します。


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展覧会のチラシに印刷された「松林図屏風」(右隻)


「松林図屏風」は等伯の代表作にとどまらず、わが国の水墨画の最高峰と評されている作品です。
東京国立博物館の所蔵で、重要文化財に指定された国宝でもあります。


この絵が描かれたのは安土桃山時代文禄2~4 年(1593~5年)頃。
年記がなく正確な年代は不明ではありますが推定される年から数えると2010年現在で400年を超える歴史をもっています。


大和絵(日本画)伝統のモチーフである松林のみを極限にまで切り詰めた筆数と黒一色をもって空間的ひろがりと遠近感を見事に表現しており、靄に包まれて見え隠れする松林のなにげない風情を、粗放の筆で大胆に描きながら、観る者にとっては禅の境地とも、わびの境地とも受けとれる閑静と奥深さがあります。


松林図屏風に見られる遠近感は桃山時代の絵画の描き方にはありませんでした。当時の描き方は平面的であったため、同時代の作品とは一線を画する斬新さが見られるのです。


日本絵画史上においても類いない完成度とすがたを呈している作品ではあるものの、完成品ではなく下絵ではないのかという意見もあります。
通常屏風絵というのは五枚ほどの紙を縦に継ぎ合せて一つの画面となり、そして絵の継ぎ目は横一線に揃うように貼られていきます。しかし松林図屏風では継ぎ目に乱れている箇所があるので草稿であったのではないかということなのです。


そんな絵のモチーフとなった松林は等伯の故郷である石川県能登半島の浜辺に見られ、等伯が故郷に馳せる思いや風景を描いたとされています。
しかしながら、この松林は鑑賞する人にとっては日本三景のひとつである天橋立であったり、天女の羽衣伝説で有名な三保の松原であったりと、その人自身の記憶の風景とつながるのです。


等伯がこの絵を描いたのは息子が亡くなった時期と重なっており、その悲しみを背負った等伯が、人からの依頼ではなく自分自身のために描いたために、この絵には等伯の強い心象が投影されており、観る者の感性に鋭く働きかけるのでしょう。


没後400年 特別展覧会「長谷川等伯」(京都国立博物館)

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美術番組の草分け的存在であるNHK日曜美術館にて、長谷川等伯にちなんだ番組「夢の等伯 傑作10選!」が2010年4月4日に放送されます。
この番組は2010年3月7日に放映された番組のアンコール放送で、等伯の作品から「選び抜かれた珠玉の傑作10点を紹介、それぞれの魅力に徹底的に迫る」内容になっています。


4月10日にせまった特別展覧会「長谷川等伯」の予習にぜひご覧になってはいかがでしょうか。作品を、等伯を、より身近な存在に思えることでしょう。


NHK 日曜美術館「夢の等伯 傑作10選!」

放送日:2010年4月4日(日)
チャンネル:教育テレビ
時間:午後8時~午後8時45分【再放送】


日本水墨画史上、最高傑作とたたえられる「松林図屏風」を描いた桃山時代の絵師、長谷川等伯。今、過去最大規模の展覧会が開かれている。80点以上の作品から、番組では選び抜かれた珠玉の傑作10点を紹介、それぞれの魅力に徹底的に迫る。
動物画の中に映し出された等伯の家庭観。最高傑作「松林図屏風」「楓図」詩情あふれる名作「萩芒図屏風」。
晩年、アートプロデューサーとしてデザイン感覚で生み出したヒット作品。等伯の名品中の名品を、じっくりとぜいたくに味わう。
まさに等伯の決定版。初心者でも、これをみれば等伯通になれる!


※番組の内容は予告なく変更される場合があります。放送スケジュールについては日曜美術館の公式ホームページをご覧下さい。

土佐藩の絵師で日本画家である河田小龍(かわだしょうりょう)は坂本龍馬に多大な影響を与えた人物の一人です。


小龍は幼い頃から絵の才能があり、最初は南宗画(中国画)を学びます。 その後、土佐藩の重臣だった吉田東洋に見込まれて、彼の勧めで京都・大阪に出、書や南画、狩野派を学びます。


絵を学ぶ傍らで儒学や蘭学も学んでおり、学者としての知識も豊富でした。 1852年、吉田東洋の命でアメリカ帰りのジョン万次郎(中浜万次郎)の取調べを行ったことで、英語や西洋事情にも通じることになります。


龍馬に西洋事情を教えたのは師匠である勝海舟とよく言われますが、それより前に小龍と龍馬は出会っています。 龍馬は小龍から見知らぬ外国の話を聞かされ「日本が文明も技術も発展した外国に追いつくためには大型船での貿易が重要だ」という小龍の話に大いに感銘を受けます。 その後、龍馬は亀山社中(海援隊)を設立することになりますが、これは小龍との出会いがあって実現したものだったとも言えます。


龍馬が時代の荒波に漕ぎ出すひとつの大きなきっかけとなった、河田小龍。
二人の関係にも思いを馳せながら、大龍馬展を味わってみては如何でしょうか。



河田小龍は1889年66歳のとき、京都府疏水事務所の庶務付属に採用され、琵琶湖疏水工事の記録画の作成に携わった経歴を持っており、京都に縁のある画家の一人でもあります。 なお、琵琶湖疏水の工事記録画は「琵琶湖疏水図誌」として京都府立総合資料館に収蔵されています。



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