土佐藩の絵師で日本画家である河田小龍(かわだしょうりょう)は坂本龍馬に多大な影響を与えた人物の一人です。
小龍は幼い頃から絵の才能があり、最初は南宗画(中国画)を学びます。 その後、土佐藩の重臣だった吉田東洋に見込まれて、彼の勧めで京都・大阪に出、書や南画、狩野派を学びます。
絵を学ぶ傍らで儒学や蘭学も学んでおり、学者としての知識も豊富でした。 1852年、吉田東洋の命でアメリカ帰りのジョン万次郎(中浜万次郎)の取調べを行ったことで、英語や西洋事情にも通じることになります。
龍馬に西洋事情を教えたのは師匠である勝海舟とよく言われますが、それより前に小龍と龍馬は出会っています。 龍馬は小龍から見知らぬ外国の話を聞かされ「日本が文明も技術も発展した外国に追いつくためには大型船での貿易が重要だ」という小龍の話に大いに感銘を受けます。 その後、龍馬は亀山社中(海援隊)を設立することになりますが、これは小龍との出会いがあって実現したものだったとも言えます。
龍馬が時代の荒波に漕ぎ出すひとつの大きなきっかけとなった、河田小龍。
二人の関係にも思いを馳せながら、大龍馬展を味わってみては如何でしょうか。
河田小龍は1889年66歳のとき、京都府疏水事務所の庶務付属に採用され、琵琶湖疏水工事の記録画の作成に携わった経歴を持っており、京都に縁のある画家の一人でもあります。 なお、琵琶湖疏水の工事記録画は「琵琶湖疏水図誌」として京都府立総合資料館に収蔵されています。

























