Exhibitions展覧会

タデウシュ・カントル生誕 100 周年記念展「死の劇場-カントルへのオマージュ」

2015/10/10(土) 〜 2015/11/15(日)

京都市立芸術大学 ギャラリー@KCUA(アクア) 

舞台芸術家・前衛芸術家として活躍したポーランドの異才タデウシュ・カントルの生誕100周年記念回顧展。彼の写真やドローイングの展示、舞台の上演記録映像を通じ、カントルの偉業をたどります。また、ポーランドと日本のアーティストによる作品展・パフォーマンスを通じ、その現代的継承を示します。

舞台芸術家であり、奇才の美術家でもあったポーランドの異才、タデウシュ・カントル。その生誕100周年を記念誌、彼の偉業を演劇・美術の双方からのアプローチで回顧する記念事業「死の劇場-カントルへのオマージュ」を開催します。

カントルは第一次世界大戦の最中に生まれ、第二次世界大戦中から芸術家としての活動を開始、早くから国際的に名声を確立しました。特にカントルの作品に見られる高い象徴性、死の表象、日常性への下降とその逆説的な意味の転換、時にユーモラスに、時に諧謔的に社会を挑発し、公共空間へと挑む手法がポーランドのみならず世界的な美術や演劇活動に与えた影響は測りしれません。
日本との関わりも深く、1982年と1990年の二度にわたって来日公演の際、日本の観衆、特に演劇界に多大な衝撃を与えました。また没後1994年から翌年にかけてセゾン美術館と伊丹市立美術館で彼の美術作品に焦点を当てた大規模な回顧展「タデウシュ・カントル 我が芸術=旅=我が人生」も開催されています。

今回の展覧会では、タデウシュ・カントルの偉業を演劇・美術の双方からのアプローチで回顧します。カントルの写真、日本に残るドローイング作品の展示や上演記録映像の上映会、関連シンポジウムなどによってカントルの全体像を示し、またポーランドと日本より7名1組を迎えて作品展示やパフォーマンス等の試みを通じ、カントルの受容とこれからの未来へ向けた現代的継承の豊かな可能性を示します。
 

出展作家

《ポーランド》パヴェウ・アルトハメル/アルトゥル・ジミェフスキ/ミロスワフ・バウカ/ヨアンナ・ライコフスカ
《日本》石橋義正/オル太/丹羽良徳/松井知惠
 

 

タデウシュ・カントル

1915年、南ポーランド、ヴィエロポーレ・スクシンスキェ生まれ。前衛芸術家、画家、素描家、芸術理論家、舞台芸術家、監督、ハプニング作者、20世紀演劇の優れた改革者、ポーランド美術界で最も重要な作家の一人。
1934年から1939年にかけてクラクフ美術アカデミーで学ぶ。ドイツによる占領期に実験的な地下劇場を設立、クラクフの前衛運動の中心となった。1955年に、戦前の芸術家による劇団クリコを継承して、仲間と共にクリコ2劇団を結成。アンフォルメル演劇(1961)、ゼロ演劇(1963)、ハプニング演劇(1967)、不可能の演劇(1973)と、次々と舞台活動を展開する。
カントルはポーランドを拠点としつつもしばしば外国に出かけ、同時代の世界の芸術の傾向、つまり、アンフォルメル、ダダ、概念芸術などの影響を受けつつ作品を制作した。
1960年代の始めから梱包(アンバラージュ)に専念し、1965年以降、フォクサル画廊(ワルシャワ)と関わりつつハプニングを実施(例えば「パノラマ的海のハプニング」1967、「レンブラントの解剖学講義」1968、など)。
1975年には死の演劇宣言を発表すると共に、伝説的演劇『死の教室』を実現。続いて『ヴィエロポーレ。ヴィエロポーレ』(1980)、『くたばれ!芸術家』(1985)、『私は二度とここには戻らない』(1988)を上演。この時期、並行して絵画制作も続ける。
1990年ポーランド、クラクフにて没。最後の演劇『今日は私の誕生日』を準備していたが、クリコ2によって演じられたのはカントルの没後であった。

展覧会概要

期間 2015/10/10(土) 〜 2015/11/15(日)
会場・開催場所 京都市立芸術大学 ギャラリー@KCUA(アクア)
時間 11:00~19:00(最終入場は18:30まで)
休館日 月曜日
料金 無料
お問い合わせ TEL:075-253-1509075-253-1509
E-Mail gallery@kcua.ac.jp
ホームページ http://gallery.kcua.ac.jp/

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