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横山大観展@京都国立近代美術館 友の会解説会に参加してきました。

投稿:2018年7月 6日

開幕から18日目で累計入場者数が5万人に達したそうです。やはり「横山大観」は人を呼べる、国民的画家です。7月3日(火)から後期展示がスタートしています。

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わが家で1980年に京都市美術館で開催された図録を発掘しました。そして2012年に美術館「えき」KYOTOであった足立美術館所蔵の大観展にも出かけました。
 
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明治元年水戸藩に生まれた大観の生誕150年、没後60年、ついでに明治150年、横山大観の代表作及び新発見作品を網羅した正面切っての横山大観展「横山大観決定版」ともいいえる展覧会となっています。東京国立近代美術館でも開催され、美術番組でも次々と取り上げられた展覧会で、「日曜美術館」、「ぶらぶら美術館博物館」、「美の巨人たち」とご覧になった方も多いかと思います。

昭和前半の国民的画家、日本画壇の大御所、巨匠として見られてきた横山大観のはずが、今回はちょっと取り扱いが違ってきています。そうです「日本のセザンヌ。」「けっして巧い画家ではなかった!」「絵が下手という点だけを観ては可哀そう、奇想天外、大観にしか描けない点に注目!」
と、今まで思ってはいても口にはできなかった様な大観評が聞こえてきませんか?

そもそも横山大観はどんな画家だったのか?とか、展覧会の構成はどうなっていて、どのような作品が展示されているのかなどは、「京都で遊ぼうART」の展覧会紹介の記事内覧会レポートをご覧ください。

美術番組を観て、展示会場を回り、あれはどうなんだろうとのそんな私の疑問に回答を得るべく毎回楽しみにしている友の会解説会に参加してきました。

横山大観は、現在の東京芸術大学、東京美術学校の一期生です。朦朧体と揶揄されながらも菱田春草と新しい表現を求めて描き続づける日々であったようです。
突破口を見出すべく描いた《白衣観音》。描き方は細かいが、どうも身体表現がオカシイ。観音様は一体どこに座っているのか?膝から下が短すぎると誰もが思う。新設の美術学校でデッサンとか習っていなかったのだろうか?そう習っていなかったそうです。大観自身も必要と感じていなかったのではないかとのお話でした。

明治元年に水戸で生まれた大観は、東京府中学校を優秀な成績で卒業しました。建築家を夢み、東京大学予備門と付属英語学校を受験しましたが、かけもち受験が禁止されていたため、折角合格していた英語学校の資格も取り消され、建築家の夢を断念し私立の東京英語学校へ入学します。英語社会を見越した大観、それで英語は得意だったのですね。英語学校を卒業して、たまたま国立の東京美術学校の創設を知り、国立なら親も文句はないだろうと急遽画家を志すこととなったと図録にありました。
つまり出発点で絵の心得は全くなかった訳です。画家で食べていけると考えたところに驚きます。父親も「絵描きなどというものは苟も武士の血を承けた男子の志すものではない」と反対しています。当然です。

そんな大観ですが、美術学校にすんなりと合格し、卒業制作《村童観翁》は最高点で学校買い上げとなっています。この作品も子供の顔もデッサンも歪んでいるけれど、新しい日本画が感じられたのでしょうか。岡倉天心や橋本雅邦などは早くから大観の持ち味を認めていたようです。岡倉天心は、大観や春草の描く朦朧体と揶揄される作品があれで良いとは思っていなかったようですが、その先にあるものにかけて、二人を海外へも送り出したのでしょう。

解説会では、大観の作品を見ていく中で、水の流れの表現に注目するのも面白いとのお話でした。大観は、京都にいた冨田溪仙の水の描き方が気に入っていたようで、それを習い、水墨画では小杉未醒(放菴)の「片ぼかし」を取り入れるなど、後輩たちからも良いものは吸収して自分のものとする柔軟性も持ち合わせていたようです。後期展示の《流燈》は、文展に初出展し文部省買い上げとなりました。インドの女性が身につける装身具の濃やかな描きこみや衣の透け感など朦朧体からの脱却を感じさせる作品となっているようで観るのが楽しみです。

前期展示《彗星》こちらも100年ぶりに見つかった作品です。昔の絵巻にも彗星、夜明け前のハレー彗星を大観は「見た」と図録にはありますが、確証はありません。昔の絵巻にもこの天体ショーを描いたものがあったように思います。連日の報道をもとにして大観は描いたのではないかと。現在と違って画家は昼の自然光を大事にして日々絵を描かねばなりません。このハレー彗星はとてもよく描けているらしいですが、当時の大観先生は、お昼に絵を描いていただろうから、夜明け前の天体ショーを実際に目にして描いたかどうかは???とのことです。

今回の展示の呼び物の一つが《生々流転》です。「片ぼかし」を多用して特別の墨で特注の絹本に描いています。私は、この作品が大観の畢生の作品ではないかと感じています。「生々流転」が東近美に入ったのはいつだろうかと「所蔵作品総合目録検索システム」で調べてみました。昭和48年です。当時1億円で細川家から購入されたそうです。高いのか安いのか?『芸術新潮5月号/これだけは見ておきたい最強の日本絵画100』にも《生々流転》はランクインしています。
 
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大観と云えば「富士山」ですが、大正期に描いた富士山は何だか幻想的ですし、後期展示の《群青富士》はグラフィックな印象です。生涯に2000ともいわれるほどに描いた富士山ですが、富士山をいっぱい描いたのは実は昭和に入ってからです。国威発揚の思いも込めて描いた富士山は日本の象徴的存在で、形式化しているように感じます。象徴的過ぎて、生気が感じられない?大観の当時の体制への協力はよく知られたところです。終戦時に大観も「戦争責任」問題でマッカーサーと面会しましたが、英語も達者な大観先生「戦後の文化国家として日本を自分が背負っていく覚悟である」と伝えて、GHQを納得させたとか。

昭和19年に南洋の島を描いたと思われる《南溟の夜》美しい作品です。空に輝くのは南十字星でしょうか。20歳も年下であったとしても、50歳にもならんとする藤田嗣治が従軍して描いた《アッツ島玉砕》に、負わされた戦争責任を思わざるを得ません。戦後も大観に富士山を描いてほしいとの注文は続き、せっせと富士山を描き続けました。「大観先生、戦後の文化国家としての日本はいかに?」とお尋ねしたかった。

明治30年29歳の時描いた《無我》と大正元年に第6回文展に出品した重要文化財《瀟湘八景》は、7/3-7/8だけの展示です。ともに東京国立博物館所蔵で、京都国立近代美術館と同じ国立なのにたった1週間だけの展示でとても残念ですが、私はここを狙って後期展示に出かけたいと思っています。木島櫻谷《寒月》を酷評した夏目漱石ですが、大観の《瀟湘八景》は「気の利いた様な間の抜けた様な趣」とお気に召したらしい。漱石先生の絵を観る基準は一体何だったのでしょう。気になります。

7/14(土)には、ナイトギャラリーツアーがあるそうなので、図録にはないお話も聞けるかもしれません。参加されてはどうでしょうか。

【参考】内覧会に参加しての拙ブログ『「横山大観の決定版!!」 京都国立近代美術館にて開催中!』⇒http://www.arthajime.com/writers/?p=9668 
 



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