『 K Y O T O N E W W A V E 』 第 5 回目は京都教育大学に在籍し 、
彫刻を学んでいる学生アーティストの芦田風馬さんにインタビューしました 。
取材/後藤あゆみ、中澤春香 写真/後藤あゆみ テキスト/中澤春香
寺田屋 / 竜馬・お龍 愛の旅路像
大学で彫刻を専攻した理由はなんですか ?
僕が通っていた 、京都市立銅駝美術工芸高等学校での授業がきっかけです 。高校に入学した当時は 、漠然と「かっこいいデザインなんかしてみたいなあ 」と思っていたけど 、専攻を決める前にいろんな科を体験する事が出来たんです 。そこで彫刻の授業を初めて受けました 。元々自分の体を鍛えたり運動するのが好きだったので 、スポーツ選手などの筋肉の動きに興味があったし、人体の美しさを表現している塑像や彫刻に惹かれたというのが理由の一つです 。高校でやりはじめた彫刻をすぱっと辞めるのはもったいなくて 、続けたい気持ちがあったので大学でも彫刻を専攻しました 。
他の芸術大学ではなく、教育大学に進学したのはなぜですか?
京都教育大学の彫刻塑像研究室はアカデミックな人体彫刻で有名で 、僕がやってきた彫刻に近いことが出来ると思ったからです 。教育大は美術だけじゃなくて 、教員を目指す為の勉強もできるし、先生っていうのもなってみたい職業の一つだったから。ちょうど今 、母親が働いてる子供お絵かき教室の手伝いをしていて 、幼稚園から中学生の子供と触れ合う機会があるんです 。教育大に来ている以上はこうゆうバイトは身になることだし為になる。小さい子は描いてる間にうとうとしたりするんですよ( 笑 )。初対面の頃は子供達もそわそわしてたけど 、すぐになじんで「 先生ー!」って寄ってくるのが可愛い 子供ってええなあって思いますね 。
子供の頃から美術に興味があったのですか ?
元々 、僕の父親が陶芸をやっていて 、母親も絵を描いたりしていたので子供の頃から美術をやっている家にいるんだという意識はありました 。子供のころから粘土を触る機会が多く、それも彫刻の道に進んだ事に影響しているかもしれません 。小さいころから物を作ったりすることが好きでしたが 、まさか将来美術に関わっているとは思っていませんでした 。それでも引き寄せられるように美術高校に入って初めて 、「 俺にも芸術を好む血が流れてたんやろうか 」と思うようになりました 。もし美術に出会って無かったら自分は今どうなっていたんだろうと思いますね 。高校も普通に地元で進学して 、大学もどこに行っていたかわからず 、仕事も何をしていたかわからない 。そんななかで一つ自分がやりたいって思える事があるのは強いなあって思います 。
テラコッタ
彫刻の魅力は何ですか ?
彫刻って 、なんといっても工程が多いんです 。まず木組みを作って粘土をつけて 、石膏をかけて中の粘土を掻き出して 、また石膏を掛けて割り出す 。その中でめちゃくちゃ大変な作業も多いし、大きな作品を作るには体力的にもきついものはあるけど 、最後に雌型を割り出して作品が出てきた瞬間っていうのが本当に幸せです 。わが子を産んだ事はないですが 、まるで新しい命を宿したような感覚に喜びを感じています 。
作品を作る上で大切にしている事はありますか ?
彫刻家・佐藤忠良の代表的な作品に「 群馬の人 」っていうのがあるのですが 、これがお世辞にも格好いいとはいえない人物の頭像なんですよね 。スーパーモデルみたいに細く美しく作る事もできるけど 、表現するっていうのは人間の内側から染み出てくるものが大事なんやなあ 、と思った作品です 。僕はいつも、見る人が安心するような、ほっとするようなものを作りたいと思っています 。僕が作るのはちょっとでっぷりしたもの 。確かにすらっと細い像の方が見栄えは格好いいと思うけど 、逆にどっしりした僕の作品を見て「 昔の日本人女性はこんなんやってねえ、安心するねえ」と言ってくれる方もいます 。だんだん自分がやっている事と聞く感想が一致し始めて 、こうゆうふうにボリュームのあるものってやっぱり人を安心させられるものになるんじゃないかなと思い始めました 。いつもモデルさんを見て作っているけど 、そこにボリュームを上増ししていくのが自分のやり方かなって 。もちろん安心感だけでは作品は作れないし、何年もやっている方に比べれば僕なんてまだまあ素人かもしれない 。だけど僕の作品をみて 、人に安心感を感じてほしいなあというのが根底にあります 。
胸像 頭像
寺田屋の 「 竜馬・お龍 愛の旅路像 」 の制作はどのように進みましたか?
ちょうど桃山のライオンズクラブが結成50周年記念として 、地元の寺田屋に龍馬とお龍の夫婦像をたてようじゃないかって話があったんです 。その依頼が大学の先生を通して 、僕ともう一人の院生 、岡田さんに伝わって仕事をさせていただくことになりました 。鋳造まで含めて大体9カ月の仕事でした 。当時龍馬伝が流行っていたからか 、現代風に 、格好よく美人に作ってくれという注文で 、資料の中には龍馬伝の福山雅治の写真集があったりしたんですよ( 笑 )。寺田屋って龍馬とお龍が初めて新婚旅行に旅立った地だから、龍馬が日本の行く末を案じる英雄的な感じだけじゃなくて 、支えてくれた妻とのあったかい夫婦愛を感じるように制作しました 。自分が大切にしている安心感という点に近くて思いをこめやすかったです 。この仕事をさせてもらってから、街にある彫刻作品にも目を向けるようになりました 。意外にちょこちょこあったりするんですよね 。
日展にも出展されていますが 、 具象以外の作品は作りますか ?
大学3回生の時に日展に初めて入選し、会場に並ぶ自分の作品を見てすごく嬉しくて 、人に見てもらえることに感動しました 。でも会場に並ぶという意味ではすごくプロ意識を持ってやらなければという思いも同時に学びました 。日展の作品は昔からの具象の人物彫刻がメインです 。それを古臭いという人もいますが 、一つの事を追及して 、つきつめて続けていくのが自分には向いていると思うし大切な事だと思うんです 。発展するためには基本が必要だし、まずはデッサン的な基本中の基本をやった上で新たなものを展開していきたいですね 。今やってる事はもちろん自分のバックボーンとしてあるけど 、今後具象彫刻以外のものを探し出していけたらなって思います 。土という素材にはすごく好きなので今はテラコッタについて展開していこうと思っています 。焼き物と人体といった可能性を追求したいです 。いつか父親がやっている陶器と人体彫刻のコラボレーションも出来たらなと思っています 。
それに 、一人で漠然と作品を作るのもいいかもしれないけど 、力試しになる大きな目標があると、それにむけて生活できるしモチベーションをあげていけます 。ちょうど今出展直前で作品を仕上げていて 、徐々に気持ちが高ぶってきてる時期ですね 。一年を通して目標があると私生活でも、「 空が綺麗やなあ 」って思う事も、自分の中を通して表現につなげてきたいと思える。制作は制作 、生活は生活 、ってわけるんじゃなくてどちらも徐々につながっていけば 、良いサイクルで制作も生活もいい感じに高められるんだと思います 。
2011日展 「大地の恵み」
普段は何をして過ごしていますか?
趣味が多くて 、中でもバイクが大好きです 。通学の際に乗っている愛車は5年の付き合いで 、休みの日などは友達とツーリングに行ったり、都会を離れてみるとすごくリフレッシュできます 。バイクの調子も毎日違うし自分の気分も毎日違うので 、お互い理解した上で乗るんです 。家族の一員と言えるんじゃないでしょうか。他にはカメラも好きです 。一年半前に自分の作品をちゃんと撮りたくて 、ちょっといいカメラを買ってみました 。腕は全然素人かもしれないけど 、それからは自分の作品や節目の行事で写真を撮ると、形に残るのはやっぱりいいなあって思いますね 。でもやっぱり一番の息抜きになるのは人と触れ合う事です 。お酒を飲みながら、腹を割って友達と話す時間が楽しい 。
最後に芦田さんにとって彫刻とはなんですか ?
自分にとって欠かせないものですね 。自分が彫刻をやめたら何が残るんやろうって思う時があります 。23年生きてきて 、まともな人間になれたのは制作をやってきたからだと思うし、彫刻なしでは自分じゃなくなっちゃう。将来はもちろん教員になりたいですが 、制作との兼ね合いが難しくて 、先生になると制作する時間がないとか 、制作だけでは食べていけないんじゃないかとか 。でも実際に制作を続けている人はいるのだから、僕にも出来ない事はないだろうという気持ちでいます 。「 制作というのは人間形成や 」と先生にも言われるのですが 、本当にそうだと思いますね 。特に研究室では何人かとモデルを囲んだりして 、ルールもあれば気の使い合いもある。一緒に制作している友達が 、熱心に素材や形の研究をしているのを見ると負けてられないと思います 。作品を作るっていうのは 、ただ技術を磨くだけじゃなくて人間として成長できる事の一つだと思うから、これからも生涯制作を続けたいと思っています 。
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穏やかさの中に 、強さを備えた彫刻を作る芦田さんのお話からは 、 作品からも感じられる温和な人柄と、彫刻に対する熱く真摯な姿勢が見えました 。
Artist Profile芦田 風馬(Ashida Fuma) 1 9 8 8 年 京都市に生まれる
( 活動履歴 )
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