武市半平太の肖像画
霊山歴史館では、昨今の幕末維新史への関心の高まりや、2010年
NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映を受け、年間のテーマは「大龍馬展」とし、一年を通した特別展を開催しています。
1月3日から12月26日までの1年間を三期に分けて展覧会を開催、大河ドラマなどで改めて注目を浴びている坂本龍馬の生涯にスポットをあて、1年をかけてその生涯と軌跡を辿りながら、新しい視点で維新史を掘り下げます。
5月7日から開催の第二期のタイトルは「翔る!龍馬」。青年龍馬が土佐を脱藩して各地を巡り、成長していく様を中心に描きます。
龍馬暗殺の指揮官・佐々木只三郎の血染めの鎖帷子
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近江屋模型(龍馬暗殺の場面)
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文久元年(1861)9 月、坂本龍馬は旧友の武市半平太が中心となって組織した攘夷派グループ・土佐勤王党に加盟します。しかし龍馬は土佐での活動に疑問を感じ、文久2年(1862)3月に土佐藩を脱藩しました。
その後、龍馬は日本全国を東奔西走。船での移動距離は何と2万キロに達しました。これは地球半周分に相当する距離です。その間に、龍馬は各地の有識者と親交を結び、スポンジのごとく多くの知識や情報を吸収していきました。
今回の初公開資料は、黒船で幕府に開国を迫ったペリーの書状ジョン・ロジャース提督宛(1824年7月26日付)や、武市半平太が塾頭を務めた士学館の道場主・桃井春蔵の扇面、大河ドラマでもお馴染み、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎も読んでいた福沢諭吉著の「西洋事情」をはじめ、龍馬の師・勝海舟の右腕だった佐藤政養が作成した新刊輿地全図(個人蔵)、河田小龍が描いた布袋図や晩海鷲図、観音図(個人蔵)など。これらの資料を通じ、龍馬が翔けた時代を描きます。
また、今回は国産連発銃の傍装雷火銃(ぼうそうらいかじゅう)や新選組の近藤勇が落書きした雨戸(複製)も初公開されます。