建築家 白井晟一 精神と空間

2011/05/23 ~ 2011/08/11


【京都工芸繊維大学美術工芸資料館】

京都工芸繊維大学美術工芸資料館

孤高の建築家と呼ばれた白井晟一(しらい・せいいち/1905~83)は、銅造りの家柄である白井伸銅の当主・白井七蔵の長男として京都に生まれました。


12歳で父を亡くした白井は、姉の嫁ぎ先である日本画家の近藤浩一路に引き取られます。

1928年、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科を卒業後、私淑していた哲学者の戸坂潤や深田康算の勧めに従って、ドイツに留学。
そこで白井はカール・ヤスパースの下で哲学を学び、ゴシック建築にも出会っていきます。

こうして、帰国後の1935年、義兄・近藤浩一路の自邸の設計を手がけたことをきっかけに建築を志し、建築家としての道を歩み始めるのです。

戦前にはいくつかの木造住宅を手がけ、戦後に入ると、「秋ノ宮村役場」(1951年)など、知遇を得た東北秋田での仕事を皮切りに活動の幅を次第に広げていきます。
戦後の日本はモダニズム建築の全盛期でしたが、白井はその動きに背を剥け、「哲学的」とも称される独自の作風を確立していきました。

そして、「原爆堂計画」(1955年)や「善照寺」(1958年)などを経て、「親和銀行本店」(1968年)によって日本建築学会賞を受賞。

1983年に78歳で京都に没するまで、およそ半世紀にわたって建築家としての活動を続けました。


白井は寡作ながらも、その建築には、幅広い教養と哲学、ヨーロッパでの経験に裏打ちされた精緻なディテールと確かな素材感があり、奥行きと陰影に富む独特な空間が実現されています。

また白井は、建築だけでなく装丁や書の世界でも多くの優れた作品を残しました。


この展覧会は、近代主義建築の主流に迎合せずに、独自の作風を追い求めた日本近代建築の異端児・
白井晟一について改めて問い直すものです。
今なお建築の根源的な意味を問いかける存在でもある白井が、どんな建築家だったのか、何を求めていたのか、設計原図やスケッチ、写真、模型、その他の資料を通して、その建築と思想の全体像に迫ります。
CHECK POINT

【関連イベント】記念シンポジウム「白井晟一・現代との対話」

日時:2011年7月2日(土) 14:00 -~17:10 (開場13:30)
会場:京都工芸繊維大学 東1号館 1階 E111教室
参加費:無料
定員:200名
※事前申し込みは不要、当日先着順での受付です

出演者


【パネリスト】
白井 昱磨 (建築家・白井晟一研究所主宰)
松山 巌 (評論家・作家)
堀部 安嗣(建築家・京都造形芸術大学大学院教授)
米田 明(京都工芸繊維大学大学院准教授)

【司会】
松隈 洋(京都工芸繊維大学美術工芸資料館教授)

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