【作品画像】
(1)小野佐世男「フアツシヨン・シヨウ」『東京パック』1936年2月号[資料]
(2)小野佐世男「艶姿京初春」『読物クラブ』1947年1月号[資料]
(3)小野佐世男「人野好郎 青春案内」1934年、インク・水彩・紙、小野耕世・蔵[原画]
1930年代から50年代にかけて諷刺漫画雑誌や新聞小説の挿絵などで 筆を振るった、画家・漫画家の小野佐世男。
彼は映画やラジオにも出演するなど、様々なメディアで大活躍しました。
展覧会では、時代の寵児として昭和を駆け抜けたこの天才作家を、ペン画や油絵、掛け軸などの原画50点以上および当時の掲載誌、ポスターなどの関連資料100点以上で紹介します。
佐世男は、1954年、来日したマリリン・モンローに会いに行く直前に急逝するまで、数多くの女性を描いてきました。銀座を闊歩するモダンガールから従軍先のインドネシアの女性たちまで、それぞれの時代や場所で、佐世男が等しいまなざしを注いだ「美女」たちの、たくましく楽しげな姿をお楽しみください。
1905年、神奈川県横浜市出身。
東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科に在学中から、今にいたるまでその水準の高さが評価されている諷刺グラフ誌『東京パック』に、女性風俗を中心とした諷刺画を次々と発表、「漫画界に麒麟児現わる」と言われる。
新聞小説の挿絵や、女性雑誌のファッション画、映画のポスターや本の装丁をてがけるほか、ラジオ番組やステージショーなどにも出演、活躍の場を広げる。
第二次大戦中は、プロパガンダ要員として徴用され、インドネシアに渡る。そこでの光と色彩に魅了され、ジャワやバリの人々の生活を克明にスケッチし続けた。
戦後、帰国すると以前にも増してメディアのひっぱりだこになる。また、油絵の大作も描くようになった。
しかし1954年、インタビューし、その姿を描きに行くことになっていたマリリン・モンローが来日したその日、48歳の若さで急逝した。
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