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狩野派の絵画-枡米菴コレクション京狩野作品を中心に-

2011/03/31 ~ 2011/06/04


【花園大学歴史博物館】

花園大学歴史博物館


狩野永徳の弟子・狩野山楽(1559~1635)に始まる京狩野。江戸時代を通じて京都に拠点を置いて活躍した狩野派の一派です。
永徳の画風を受け継いだ初代・山楽、幾何学的構図を得意とした2代・山雪(1590~1651)など、狩野探幽(1602~74)が創始した江戸狩野派とは一線を画す、独特な画風の作品を描いています。

しかし、個性的な初期京狩野の絵師たちに対し、5代・永伯(1687~1764)以後、幕末に9代・永岳(1790~1867)が登場するまで、京狩野はやや衰退しました。
エキセントリックな形態感覚と復古的な画風が特徴的だった永岳は早くから注目されていましたが、低迷期および永岳を継ぐ永祥以降の京狩野については、現在まで大きく取り上げられることはなかったようです。







この展覧会では、そんな知られざる京狩野の絵師たちを、枡米菴(しょうべいあん)コレクションや妙心寺塔頭の大法院・麟祥院に蔵される作品を中心にご紹介します。また狩野探幽や京都で活躍した江戸狩野派に連なる鶴澤派の作品もあわせて展示します。
いまだ知られざる、謎多き京狩野の魅力を知っていただける機会になれば幸いです。

※会期中、前・後期で大幅な陳列替を行います。
【前期】3/31(木)~4/30(土)/【後期】5/2(月)~6/4(土)
CHECK POINT

江戸狩野と京狩野

皇室や武家などの御用絵師として、日本の画壇の中心を担ってきた狩野派。
はじめは室町幕府の御用を務めていましたが、幕府が滅んだ後は織田信長や豊臣秀吉、そして徳川家康にも仕えました。

徳川家による幕府が江戸に立てられると、狩野探幽ら狩野派の宗家を含めた多くの絵師達はそれに伴い、江戸へ下りました。
しかし狩野山楽は、秀吉の寵愛を受けていたこともあり、秀吉の子・秀頼に仕えるべくそのまま京都に留まりました。
この際に、「江戸狩野」と「京狩野」が生まれることになったのです。

その後豊臣家も滅ぶと、京狩野の絵師たちは公家や有力寺院の御用として仕えるようになり、初代・山楽の後、二代・山雪、三代・永納と受け継がれていきます。
しかし幕府の大きなバックアップがあった江戸狩野に比べると、その勢いには差が有ったと言われています。
永納は、日本で初めての画伝書(絵画史のテキスト)『本朝画史』を著したとして知られていますが、これは狩野派としての正当性を主張する意味があったともいわれます。

後に京狩野は流派としては低迷してしまいますが、幕末に九代・永岳が登場したことで一時復興します。
永岳は京都の人気流派となっていた四条派など、他の流派の画風を積極的に取り入れて京狩野の復興と生き残りをはかりました。
長寿であったこともあり、永岳は京都画壇の重鎮として活躍しました。彼の作品は特に妙心寺に多く残されています。

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