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躍動する昭和 木村 伊兵衛 展

2011/01/21 ~ 2011/03/06


【何必館・京都現代美術館】

何必館・京都現代美術館


日本近代写真の第一人者として、常に日本の写真界を牽引してきた、木村伊兵衛(1901-1974)。

木村が残した「昭和」という時代の風景は、私達の記憶の中にある懐かしい感情を蘇らせます。



東京の下町・下谷に生を受けた木村は、まずおもちゃの青写真から写真の世界に触れました。
その後彼の興味はカメラやモチーフを変えて続き、そして29歳のときにドイツの小型カメラ「ライカ」にたどり着きます。
「ライカ」と出会った木村は、下町で育った感覚を活かし、生まれ育った東京下町の人々から、やがて沖縄や秋田の農村へと視線を広げ、多くの優れた作品を生み出しました。

木村は「ライカ」の持つ速写性を生かした、スナップやポートレイトに独自の感覚を発揮しました。
出会った瞬間にその存在の核心を見抜き、シャッターを切る。木村伊兵衛にとって、カメラは肉眼よりもはるかに奥深くを視ることのできる道具だったのではないでしょうか。



木村が撮影し続けた「昭和」の時代は、新しいものと忘れられていくものがせめぎあっていた時代でした。しかし写真には彼の洒脱な人柄が加わり、ただの報道写真にはない表現することへの喜びが溢れています。
今日では、彼の撮り続けた風景は急速に変化する都市の中でほとんどが失われてしまいました。しかし木村が丁寧に切り取った人々の生活の細部に備わる感覚は、現代の私たちの根底にも脈々と受け継がれています。

今回の展覧会では、「躍動する昭和」「秋田の民俗」「よみがえる都市」「日本列島」「ポートレイト」というテーマを、何必館コレクションより厳選した約60点の作品で構成します。
木村伊兵衛が見つめた昭和の日本を、この機会に是非ご覧下さい。


CHECK POINT

木村伊兵衛 プロフィール


木村伊兵衛ポートレート(昭和25年)
木村伊兵衛は、1901年・東京下谷・金杉上町に生まれました。

1920年には台湾・台南市にあった砂糖問屋の支店に勤務する傍ら、同市内の写真館で営業写真の技術を身につけ、アマチュア写真家として活動するようになります。その後1924年に日本へ戻り、東京・日暮里に自らの写真館を開業しました。

1930年、花王石鹸(現在の花王株式会社)の広告部に嘱託カメラマンとして入社します。この頃に、生涯の相棒となるドイツの小型カメラ「ライカ」と出会います。
1932年、野島康三や中山岩太と共に、月刊の同人写真雑誌『光画』を発刊。
翌1933年には名取洋之助、原弘、伊奈信男らと日本工房の設立に加わります。
持ち運びが容易でふとした瞬間を見逃さずに撮影できるのが小型カメラの特性ですが、木村たちはこれを報道写真に持ち込み、日本の写真に新風を吹き込みました。

1935年には沖縄県の琉球本島に1ヶ月滞在し、写真撮影を行っています。
戦後、1950年に日本写真家協会が設立された折り、初代会長に就任。その後は1952年に農村生活の撮影のため、秋田を訪れるなどの撮影活動の傍ら、写真雑誌のコンテストの選考・論評を務めるなど、アマチュア写真家の育成にも努めました。
また、同時代に活躍した土門拳と共にリアリズム写真運動推進も行っています。
土門とはまさに主要な活動時期が一緒だったため、しばしば双璧を成す存在として語られます。
しかしその作風は徹底的に気に入るまで作りこんで撮影を行う土門と、演出無しにふとした一瞬を見逃さずに切り取ってしまう木村ではまるで違っていたようです。

1974年5月31日に日暮里の自宅にて死去。享年72歳。
翌年にはその業績を讃えられ、「木村伊兵衛写真展」が設けられました。
現在も新人の登竜門として多くの優れた写真家を輩出しています。

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