長谷川良雄は、明治17年(1884)6月、京都府紀伊郡の東九条村、この展覧会の会場である長谷川家住宅にて生まれました。
地元の小学校から京都府尋常中学校(現・京都府立鳥羽高校)に進学した彼は、幼少期から絵を描くことを好み、特に在学中に使っていた美術の教科書に出てきた近代日本を代表する洋画家・浅井忠の絵に強く惹かれました。
その浅井忠が明治35年(1902)に新設される京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の教授として迎えられることを知った良雄は、一も二もなく浅井が担当する図案科に入学。この学科は図案の基礎やその応用を学ぶところでしたが、浅井は図案の前にまずは対象を正確に捉えるための写生が重要であると説きました。良雄は憧れの浅井忠から直接、写生(水彩画)の指導を受けることができたのです。
良雄自身は、生家が地元の大地主と裕福であったこと、そして生来あまり身体が丈夫ではなかったことから、画家や工芸家を職業とする考えは淡く、もっぱら趣味として水彩を楽しみ、気ままに展覧会に作品を出品するという生活を送りました。しかし、出品した展覧会では師・浅井忠の後継者と言われるほど高い評価を受けたことも有るなど、充実した絵三昧の生涯でした。
今回の展覧会では、長谷川家に残された良雄の水彩画から、「古都の田舎を描く」と題し、35点ほどをご紹介します。
良雄は近代化が進む京都の街中よりも静かな自然の佇まいを好み、今もその面影を残しているところ、またすっかり失われてしまったところなど、当時の京洛のあちこちの眺めを描き残しています。水彩(みずえ)の持つにじみやぼかしといった表現の魅力とともに、京都の田舎の面影探しをお楽しみください。
また、あわせて長谷川家が所蔵する浅井忠の水彩画、良雄が図案科で浅井に学んだ成果を示す関連資料も展示します。この機会にご高覧ください。
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