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学業から職業へ-京都高等工芸学校と京都市立美術工芸学校の図案教育Ⅲ

2016/06/20 ~ 2016/08/08


【京都工芸繊維大学美術工芸資料館】

京都工芸繊維大学美術工芸資料館

この展覧会は、2011年度に京都市内の13大学14ミュージアムが連携して立ち上げた「京都・大学ミュージアム連携」の活動の一環として、京都工芸繊維大学美術工芸資料館と京都市立芸術大学芸術資料館の合同企画として開催するものです。

2014年度の「浅井忠・武田五一と神坂雪佳-京都高等工芸学校と京都市立美術工芸学校の図案教育Ⅰ-」、2015年度の「“倣う”から“創る”へ-京都高等工芸学校と京都市立美術工芸学校の図案教育Ⅱ-」に続く連続展覧会企画の3回目で最終回となる今回は、昭和前期(戦前期)を対象として、京都の図案教育とその成果の一側面を見ていきます。

京都では大正14年(1925)からラジオ放送が開始され、昭和3年(1928)には京都市営バスが出町と大正12年(1923)に完成した植物園間で運転を開始するなど、大正末期から昭和初期にかけて急速に都市化が進み、髙島屋、大丸といったデパートが賑わいをみせていました。 髙島屋では、これ以前から大阪心斎橋店に装飾係を設置(明治33年(1900))し、室内装飾の受注に力を入れていました。また、昭和2年(1927)には、丸紅商店京都支店内に染織美術研究会が設立され、公募による呉服の開発が開始されました。こうした企業での図案部の設置や公募の開催は、図案が商品開発の有効な手段として社会的に浸透していったことを示しています。

一方の教育現場では、昭和5年(1930)に京都高等工芸学校図案科教授であった本野精吾(1882-1944)の設計による新校舎が完成し、現在の京都工芸繊維大学がある松ヶ崎に移転しました。この当時の図案科は、本野をはじめとして、向井寛三郎(1889-1958)、霜鳥正三郎(1884-1982)らが指導を行っていました。京都市立美術工芸学校では、大正14年(1925)に神坂雪佳(1866-1942)と猪飼嘯谷(1881-1939)に代わって、山鹿清華(1885-1981)、田村春曉(生没年不明)が図案科の教員となっていました。それ以前から教諭を務めていた千熊章禄(1883-1965)は引き続き在籍していたものの、こちらでも同様に教員の世代交代があったこととなります。さらに大正15年(1926)には校舎を今熊野に移し、新校舎での教育を開始しており、およそ大正期から昭和初期にかけて両校で校舎の移転とあらたな体制での教育がスタートすることとなります。

明治24年(1891)に京都市美術学校に工芸図案科が新設されてから30年以上が経ち、京都高等工芸学校図案科も設立からおよそ20年が経過し、卒業生の多くが教育の成果を実際の現場で職業として発揮すべく図案制作に携わっていました。学校における図案教育の成果が商品製作の現場でどのように活かされているかを、卒業生の作品やさまざまな業種でつくられた製品資料をもとに検証します。


CHECK POINT

【関連イベント】シンポジウム

日時:2016年6月25日(土)13:30~16:30
会場:京都工芸繊維大学 総合研究棟 4階404教室
※入場無料・事前申込不要

《内容》
基調講演:森仁史(柳宗理記念デザイン研究所シニアディレクター)
講  演:佐藤敬二(京都精華大学ギャラリーフロール教授)
     松尾芳樹(京都市立芸術大学芸術資料館)
     岡達也(京都工芸繊維大学美術工芸資料館)
司  会:並木誠士(京都工芸繊維大学美術工芸資料館館長)

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