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2013年春の特別展 幕末・維新を果敢に生きた新島八重の心の支え「会津の武士道」第1期 八重の時代

2013/01/03 ~ 2013/05/06


【幕末維新ミュージアム 霊山歴史館】

幕末維新ミュージアム 霊山歴史館

平成25年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重。
これにちなみ、霊山歴史館では平成25年度の通年企画として「会津の武士道」を開催します。

会津藩砲術指南役の家に生まれた山本八重(後の新島八重)は、会津武士の子として幼少の頃から「什の掟」を教え込まれました。その根本である「ならぬものはならぬものです」は会津武士の魂であり、どんなことがあっても信念を曲げてはいけないという不屈の精神を示すものでした。
そして戊辰の役の会津戦争では、八重は断髪して鳥羽伏見の戦いで戦死した弟の陣装束に身を包み、女性でありながら篭城戦を戦い抜きました。そのため「幕末のジャンヌ・ダルク」「男装の狙撃手」と呼ばれています。
しかし会津藩は降伏し、八重は鶴ヶ城(会津若松市)の開城に際して穀物蔵の壁に次の一首を書き残しています。
「明日よりはいづくの誰かながむらん なれし御城に残す月影」



明治4年(1871)、八重は兄の覚馬を頼って京都にやってきました。そして女紅場(にょこうば *1)の京都第一の権舎長、教道試補を勤めます。のちに八重と結婚する新島襄は岩倉使節団の副使であった木戸孝允と会い、英学校設立の構想を語ったといいます。
明治8年、新島襄は京都府知事・槇村正直や山本覚馬の賛同を得て同志社英学校(後の同志社大学)を開設し、教育に心血を注ぎました。その翌年、二人は結婚します。新島襄34歳、八重32歳でした。しかし病に倒れた襄は、明治23年(1890)、八重に「グッバイまた会わん」と言い残し、他界しました。
その後の八重は裏千家の円能斎について茶道を修めて女子教育に取り組む一方、日清戦争、日露戦争で篤志看護婦として活躍します。

第1期となる今回の展覧会では「八重の時代」と題し、幕末から維新という激動の時代を力強く生き抜いた八重や、彼女の心の支えとなった幕末の会津藩にスポットを当てた展示を行います。

*1)女子に対して読み書き算盤や裁縫・手芸を授けた教育機関。後の女学校の基礎となった。
CHECK POINT

新規映像展示作品上映開始!

2013年の通年特別展「会津の武士道」に合わせ、映像2作品が新たに制作されました。
新島八重の生涯や会津藩の武士道精神、日新館教育などを紹介する内容となっています。
展覧会の始まる1月3日(木)より館内で放映開始となります。

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