1. 京都で遊ぼうART
  2. 施設から探す >
  3. 美術館・博物館から探す
  4. 幕末維新ミュージアム 霊山歴史館
  5. 2012年秋の展覧会「京・幕末動乱」

2012年秋の展覧会「京・幕末動乱」

2012/09/04 ~ 2012/10/21


【幕末維新ミュージアム 霊山歴史館】

幕末維新ミュージアム 霊山歴史館

江戸後期の文化年間(1804~1817)、頻繁に外国船が日本近海にあらわれるようになりました。

まずはロシア軍艦が蝦夷地(現・北海道)に来航します。その頃はちょうど、伊能忠敬が地図作りのために日本各地の実測に取り組んでいました。

そんな中、財政難に苦しんでいた江戸幕府は衣服や飲食を制限する倹約令を出す一方で、各藩に厳重に海岸防備を命じました。

また、イギリスもアジアに進出し、文化5年(1808)には長崎湾で「フェートン号事件」(イギリス船がオランダ船の振りをして侵入、オランダ商館員を拿捕した事件)を起こします。
これらの外圧に幕府は「異国船打払令」を出して対抗しようとします。
しかしモリソン号事件(日本人の漂流民を移送中のアメリカ船を日本側が砲撃した事件)が起こると蘭学者の高野長英や渡辺崋山らが、出版を通じて幕府の鎖国政策を非難します。これに対し幕府は言論を封じ、「蛮社の獄」という弾圧を 強行しました。
また、幕府は安政5年(1858)にも、「安政の大獄」という大弾圧を行います。
大老・井伊直弼は天皇の勅許を得ることなく日米修好通商条約に調印しますが、これに反発した公家や志士、政敵である一橋派を強権政治で封じこめたのです。
しかし井伊大老は「桜田門外の変」で水戸や薩摩の浪士に暗殺され、幕府の権力は著しく衰退することになりました。

これに対し幕府は朝廷の権威を借りる方向へ政策転換をはかります。その一環として、孝明天皇の妹である和宮を当時の将軍・徳川家茂と政略結婚させ、公武合体を推進しました。
こうして、政治の舞台は次第に京都へと移り、攘夷祈願のために将軍家茂は上洛することとなりました。

一方、京都では攘夷派が反対勢力を襲う天誅事件が横行し、治安は著しく悪化していました。
幕府は治安対策として浪人を中心に結成した江戸浪士組を京都へ入洛させますが、この一部が京都の残留し、後に「新選組」となります。
将軍が京都へ上洛したものの政治は安定することはなく、八・一八の政変、池田屋事件、禁門の変などの争乱が次々と巻き起こり、状況は混乱を極めました。そこで坂本龍馬などの志士たちは、江戸幕府に代わる新しい政権の模索を行います。そして苦難の末に薩長同盟が成立し、時代は一気に動き出します。
その後、大政奉還や王政復古によって明治維新を迎え、戊辰戦争も箱館での戦いで終結を迎えます。そして岩倉具視らの米欧視察で日本は近代化に向けて大きく進みだすのです。

今回の展覧会では、「幕末の京都」にスポットをあて、激動する維新期に迫る展示を試みます。
新撰組など幕府方、そして坂本龍馬ら志士側、双方の資料約100点を公開するほか、大画面3D映像コーナーでは、新作となる「鳥羽伏見の戦い」の映像を放映します。

CHECK POINT

【関連イベント】維新土曜トーク

より展示内容を深く知ることができる講演&トークイベントが開催されます。
第二部のトークイベントでは、「新撰組血風録」「燃えよ剣」などで新撰組副長・土方歳三を演じた栗塚旭さんがゲストに登場します。

日時:2012年10月6日(土) 13:30~
会場:霊山歴史館講堂
定員:160名(要予約)
会費:500円(友の会会員の方は無料)

第一部:講演会「なぜ新撰組は結成されたか」


講師:木村 幸比古(霊山歴史館学芸課長)

第二部:対談「銀幕・土方歳三の世界」


出演:栗塚 旭(俳優)、木村幸比古(霊山歴史館学芸課長)

自分のブログ・サイトで紹介する時は、貼り付け用ソースをお使いください。



  • 京都で遊ぼう総合TOP
  • 京都で遊ぼうART
  • 京都で遊ぼうMUSIC
  • 京都で遊ぼうSTAY
  • 京都の銭湯
  • 京遊本舗