2011/9/ 5

フェルメールといえば、小池昌代さんの「45文字」という小説にも登場する、「牛乳を注ぐ女」が見たかったのだけれど、今回はなかった。

コミュニケーションについて、十七世紀オランダ絵画から人々を読み解こう、というのが今回の作品展のテーマなので、フェルメールの作品は、手紙についての絵画がみっつ展示されていた。

十七世紀のオランダは、ヨーロッパのなかでも識字率が高く、手紙が流行していたそうだ。封筒がなかったので、いまの女子高生みたいにいろいろなかたちはないけれど、手紙を決まったかたちに折って封筒かわりにする。切手はシールかわりになる。ペンや便箋などがかけられているレターラックなんていうものもあって、とてもかわいい。

ということで、手紙について書く。

  • 続きを読む

2011/8/ 5

絵に描いてある小さな文字を、一文字一文字、しんけんに読もうとおもう。おもわせてくれる。文字と絵の境界線がどこにあるのかみつからないような作品たち。みつからないというよりも、きっと、もともとないのだ。

きれいごとばかりいっているあの子と、悪口ばかりいっているあの子。たぶん、ひとというのは、その真ん中にいることがいちばん難しく、その真ん中はたぶん とてもきれいなところだ。そんなきれいなところにいるひとはきっと、「わからない。」という、○でも×でもない答えを、堂々と言えるひとで。そうして MAYA MAXという画家は、その○でも×でもない、いちばんきれいなところをけして飾らないで描く画家だとおもった。

  • 続きを読む

2011/5/24

はじめに。

ひとは、起きているときと、眠っているとき、どちらにより、シュルレアリスムを感じながら生きているのだろう。
たとえば眠っているとき、わたしたちは夢をみている。夢をみるということさえもう、わたしはシュルレアリスムなんじゃないかとおもう。だってわたしは起きていること、眠ること、生きていることさえ、シュルレアリスムのような気がするのだ。というより、そういう、現実を現実として感じるということを、シュルレアリスムというのだろうけれど。

それにしてもわたしには不思議なことがいっぱいある。きっと、ひとよりもいっぱいあると思う。たとえば雨が降っていたら傘を差すことや、もっといえば、雨の日があることや、日中、太陽によって、地球がこんなにも明るく照らされていること。それらは、なんていう壮大で、なんともすんなりと、わたしたちの生活に入り込んでくるのだろう。

そもそも雨はなぜ降るのだろうとか、
雨を降らせているのはだれなのだろうとか、
もしそれがだれでもない、ほんとうに科学で証明されているような自然現象だとしたら、自然現象とはいったいなんなのだろうとか。

わたしは世界そのものこそが、シュルレアリスムに満ち溢れていると思うし、常にそう思いながら生きている。しかしそれはわたしの心のなかの世界であって、万人にとっての世界は、現実でしかない。雨が降ることも、夢を見ることもそれらは生まれながらにしてそうなのだから、それはシュルレアリスムでもなんでもない。この世界を生きている人間には二通りいて、それらは、この現実を「超現実」として心のなかで思いながら、あるいは絵として、文章として表現しながら生きているのか、ただ現実は、流れていく現実としてのみの認識のなかで生きていくかの、たぶん、その二通りの考え方だけなのだ。

  • 続きを読む

2011/4/14

まいにち同じ時間に起きて、まいにち同じ時間に眠り、まいにち同じ場所へ、同じことをしに、行く。
ときどきその繰り返しに、何度も何度も同じ日を生きているんじゃないかという、こわさを感じる。

今回の、パウル・クレーの作品展「おわらないアトリエ」は、そんな日々を、表しているような感じがした。


日々というのは、不思議だ。日々は過去になればなるほど平面的になっていき、薄いものから順に見えなくなっていく。同じことの繰り返しの日々は、いちにち ごとに、上書きされて、きのうなどなかったかのように、またきのうと同じ今日を体験する。きのうを生きた意味などなかったかのように今日を過ごし、そして 今日が昨日になれば、また今日は明日に上書きされていく。


わたしは思う。「それならば、今日を生きている意味なんて、どこにあるのだろうか。」


  • 続きを読む

2010/12/17

例えばその日わたしがいつもの革ブーツではなく、ヒールのある黒い靴で出掛けたのは、その展示「ウィリー・ロニス展」を見るのにいちばん相応しい靴だと思ったからだ。

土曜日の祇園界隈は全体的にざわめいていて、それも厭なざわめき方をしている。そのざわめきのなかに、ひっそりと息を潜めるように、あるいはゆっくりと深呼吸をしながら生きている美術館がある。きっと目的がないひとならば、何度この前を通っても、永遠に気付かないような、そんな聳え立ち方をしている。わたしはその建物の深呼吸の波に呑まれるように、あるいは吸い込まれるように、京都現代美術館へと入った。

  • 続きを読む

1

木爾チレン

第9回R-18文学賞を受賞しました。1987年生まれの宇宙がーるデス。色んな色の絵の具で、女の子の心と宇宙の不思議さが描かれたような、ガーリーな小説を作っていきたいのデス。 どうぞ、なかよくしてあげて下さい。

溶けたらしぼんだ

「溶けたらしぼんだ。」
(\210)
Space Townブックスで配信中。